vol.35 (10月21日)
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◎ 日本・パプアニューギニア友好議員連盟 総会へ出席
10月14日(火)12:00より、日本・パプアニューギニア友好議員連盟の
総会が衆議院議員会館会議室において開催されました。当協会から、山下会長、
島田事務局長が出席いたしました。 主な議事の内容は次の通りです。
1.田中和徳議連会長のご挨拶
2.ガブリエル ドゥサバ大使のご挨拶
3.安倍総理訪問後の両国関係の外交状況の説明(外務省アジア大洋州局参事官 滝崎氏)
4.議員連盟パプアニューギニア訪問についてのご報告(秋葉賢也先生)
5.協会からの補足説明と挨拶 山下会長
6.議連から安倍総理への申し入れ(今後の両国関係推進の為) 田中和徳 会長
申し入れの内容は、主に治安の確保、医療・保険、教育への重点的な援助を
検討する旨の提言となっております。
出席者は、田中和徳議連会長、山際大志郎事務局長をはじめとして、PNGに安倍総理
にご同行された秋葉先生、竹中先生、そして議員連盟所属の多く先生方がご出席
され、パプアニューギニア大使館からは、ドゥサバ大使、ヌモイ公使、城ヶ瀧様
がご出席になられました。
また外務省からは、滝崎参事官、和田課長をはじめとして、担当の職員の方々が
ご出席されました。
益々両国関係が推進される雰囲気を感じております。
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◎日本人経営のホテル「志村ロッジ」(ポートモレスビー)
オープニングセレモニー開催
10月17日ポートモレスビーにおいて松本大使を御迎えし、ポートモレスビー初の
日本人経営ホテル「志村ロッジ」のオープニングセレモニーが開催されました。
ホテルのオーナーは当協会法人会員の鈴木瓦店社長 志村容一氏で、
町田クレインライオンズクラブのメンバーです。永年にわたり日本とPNGの友好に
寄与されてきました。
当ホテルの現地支配人は、当協会ポートモレスビー支部長の成田俊幸氏が当たられる
予定です。 ホテルの開業に合わせ、当協会のポートモレスビー支部も「志村ロッジ」
内に移転致します。
セレモニー御参加の来賓は松本大使をはじめ、次の方々で、ジャック牧師により
お祈りと祝福を受け、オープニングのセレモニー、レセプションが始まりました。
HE Mr. Romano Tikotikoca, High Commissioner of Fiji to PNG
在PNGフィジー大使 ロマノ チコチコダ
Mrs Monica Salter, CEO, Monian Group of companies
モニアングループ社長 モニカ サルター
Ambassador Lucy Bogari, Deputy Secretary, Department of Foreign Affairs
外務省 事務次官代行 ルーシー ボガリ
Fr. Jacek Tenej, Rector, Holy Spirit Seminary,Bomana
聖神霊学校 ジャック テネイ 牧師
Dr. John Mua, CEO, Pacific JETS PNG Ltd
パシフィック ジェット PNG 社 代表取締役 ジョン ムア
正式な営業開始には、もう少しお時間がかかる予定とのことです。
情報がわかりましたら、会員の皆さまにも改めて御案内いたします。
連絡先:675-7217-0070 info@png-info.com
または、協会事務局:03-5545-5100 info@jpng.or.jp
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◎ 熊本)亡き2万人の戦友たちへ 握り飯捧げながら慰霊祭 (2014年10月13日)
http://www.asahi.com/articles/ASGBD4CFLGBDTLVB006.html
太平洋戦争の激戦地で、南太平洋にあるブーゲンビル島(現パプアニューギニア)で
亡くなった兵士を弔う「顕彰会」が12日、熊本市中央区の小峰墓地公園で開かれた。
兵士は県内を中心に南九州から集められ、2万人以上が戦死したとされる。
生存者や遺族計13人が参加し、忠魂碑に祈りを捧げた。
約100人でつくる県ブーゲンビル島会の主催。元兵士の高木正男会長(95)は
「ここに立つと、島で戦友たちと聞いた潮騒の音を思い出す。食事もない中、
死にものぐるいで戦ってきました」とあいさつ。その後、高木会長が読経する中で
参列者が焼香した。
碑の中には、1966年に島で集められた207体の遺骨が収められている。
収集団として島を訪れた日本赤十字社熊本健康管理センター名誉所長の
小山和作さん(82)は「誰かの父や夫、息子がここで戦った。
兵士たちの心情を思えば、滞在中は涙があふれてならなかった」と振り返った。
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◎ 横浜米軍機墜落の記憶(中) 焼け散った楽園への夢 (2014年10月16日)
http://www.townnews.co.jp/0101/2014/10/16/255435.html
1975年に国連の統治領から独立を果たしたパプアニューギニアで、ホテルの
支配人として働いていた椎葉寅生さん(76・緑区十日市場町在住)。
「とにかく海がきれいで、潜るとサンゴの花が咲いていた」
3年間、日本と現地を行き来していた椎葉さんは、その自然に魅了された。
家族もパプアニューギニアに移住する夢を膨らませていた。しかし、独立直後の現地は
日に日に治安が悪化。椎葉さんはいったん日本に引き揚げ、旧緑区荏田町(現青葉区荏田北)
の住まいで政情の安定を待った。
引っ越して間もない自宅には、現地に持っていく荷物が段ボールのまま置かれ、
椎葉さん一家は「楽園」への移住を待ちわびた。
37年前の9月27日、荏田町に米軍機が墜落。椎葉さんの妻・悦子さん(当時35歳)は
皮膚の3割以上がやけどを負う重傷に。事故当日、渋谷で金融関係の仕事をしていた
椎葉さんは、悦子さんが搬送された青葉台病院から連絡を受ける。
「奥様をお預かりしているから、とにかくすぐに来てくれ、来てくれと、何がなんだか
分からなかった」。急いで病院へ向かうタクシーの中で「椎葉悦子、全身やけどの重傷で重体」
と臨時ニュースが流れた。「とにかく生きてくれ」。その一心で病院に向かった。
病室にはベッドが2つ置かれ、2人とも包帯を巻かれて誰だか分からない。
「ベッド脇に子どもが立っていて、(悦子だと)分かった」。
全身やけどの重傷を負った悦子さんに、椎葉さんは「大丈夫か」と話しかけるが、
返事はなくまばたきで合図するだけ。言葉を交わせない不安が続き、医師からも「
2、3日が山場だ」と伝えられた。
椎葉さんは病院を後にし、自宅を見に江田駅へ。
墜落現場の駅周辺はロープが張られ立ち入り禁止に。警察官に「家の者だ」と伝えると、
通行許可が出た。焼け焦げた匂い、柱だけの家が残り、パプアニューギニア行の段ボールも
燃えた。「何も考えられなかった」
現場では米兵が飛行機の残骸を集めていた。
カーキ色の作業服を着た人物が椎葉さんに近づいて声を掛ける。「補償を担当するものです」。
名刺には横浜防衛施設局と記されていた。「何言ってんだこの野郎。
墜落の原因も何もかもわからないのに、補償交渉などできない」と怒りをあらわにした。
「国の正義のなさ、事故原因を追究すること、支援者に応えるため」。
回復してきた悦子さんも含め椎葉さん一家は事故から3年後、「国と米兵」を被告とする
民事訴訟に踏み切る。7年の闘争の末、横浜地裁で「米国人にも日本の民事裁判権が及ぶ」
との判決が出された。当時の新聞は「安保の壁に風穴が開いた」と報道も。
勝訴だったが椎葉さんの心の震えは収まらない。
「政府からも米軍からも正式な謝罪が一度もない。あの事件はまだ終わってない」。
椎葉さんの自室には事故発生の午後1時20分頃を指したままの壁掛け時計が飾られている。
―続く
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◎ パプアニューギニアのリゾートで 珍獣と出会い銀色の魚と泳ぐ
http://woman.infoseek.co.jp/news/neta/creabunshun_6436
"パプアニューギニア"と聞くと、とんでもない秘境を想像しがち。
距離的にも、文化的にも、とても遠い未開の地のような......。
それが、実は、日本から直行便でわずか約6時間30分で行けるんです。
オーストラリアの上、赤道のほぼ真下に位置するパプアニューギニアは、
南半球の国々の中でも日本から行きやすく、また、おなじみハワイへ行くよりも
時間的に近い!
国際空港のある首都ポート・モレスビーは高層ビルが建つ都会ですし、
人々は普通の洋服を着て、ビジネスマンはスーツ姿です。サバイバルな覚悟で
訪れたりすると、あらぁ? と肩透かしを食らってしまうかも。
海辺に佇むマダン・リゾート。客室の窓の手すりにくちばしの大きなサイチョウの
仲間が飛んできて、びっくりさせられたことも。
「さすがに、リゾートはないでしょう?」 いえいえ、あるんです。
リゾートエリアの代表格は、ポート・モレスビーから国内線で約1時間、
ニューギニア島の北東に位置するマダン。ビスマルク海(太平洋)に面する街で、
入り組んだ海岸線の向こうには大小の島々が浮かび、内陸側の遠くには雲が中腹に
かかった山脈が続いています。
町の中心部にある背の高い木。枝にはびっしりとフルーツバットが。
そんなマダンは、専門家が涙して喜ぶような珍しい動植物の宝庫です。
「マダンクィーン」という蝶や極彩色の極楽鳥、ダチョウに角を生やしたようなヒクイドリ、
有袋動物のポッサムなど、日本なら動物園クラスの生き物がリゾートでペットとして
飼われていたりします。
ふと巨大なレインツリーを見上げれば、葉っぱのように見える茂みがすべて
フルーツバットというコウモリだったりすることも。
なにかの音をきっかけに一斉に飛び立つときの迫力(恐怖に近いかも!?)といったら......。
マダンはダイバーの間では知られた場所です。
水中もワイルドで、バラクーダやギンガメアジなど、いわゆる銀鱗系の魚たちが
高い透明度の中、わんさか群れています。
しかも群れを構成している一匹一匹のサイズが大きく、魚影も濃厚。面白いことに、
群れの先頭を行く魚と目が合うと、ヤバッという表情を浮かべて、"目が泳ぐ"んです。
で、横目でダイバーを見ながら方向転換。そんな魚たちの行く手を先回りして塞いだりして、
つい、からかいたくなってしまいます。
ダイビングポイントまでのボート移動も、お楽しみ。
深いブルーの穏やかな海を進みながら、椰子の木をちょこんと載せた小さな島や
ジャングルに覆われた入り江を通り過ぎ、たまに木製の手作りカヌーに乗った子供たちと
すれ違うことも。
そんな時、子供たちは大きく手を振り、こちらに無邪気な笑顔を送ってくれるのです。
■ 編 集 後 記 ━━━━━━━━━━━━━━・・・・・‥‥‥......
11月の声が聞こえ、今年もまさに終盤になりました。
気候が大きく変わっております。皆さま御自愛くださいませ。
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