メルマガ・広報誌

vol.162(8月20日)

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◎ 太平洋諸国への中国の援助額、豪州を抜く可能性 懐疑的な見方も (2018.8.10、CNN)
https://www.cnn.co.jp/business/35123871.html

(CNN) オーストラリアの外交政策シンクタンク、ローウィー研究所は10日までに、
中国が太平洋諸国への援助額でオーストラリアを追い抜く可能性があるとの調査結果を発表した。
ただ、中国が援助の約束を実行に移すかどうかについては懐疑的な見方も示している。

ローウィー研究所の新プロジェクトによれば、中国は2011年以降、
太平洋諸国に対して58億8000万ドル(約6500億円)相当の援助を約束してきた。
ただ、オーストラリアが約束した援助額は67億2000万ドルで、これには届かない。
オーストラリアは依然として太平洋地域で最大の援助国だが、
中国は「一帯一路」と呼ばれる経済圏構想のもとで多額の投資を行っており、
オーストラリアを追い抜く可能性もある。

パプアニューギニアだけを取っても、
中国は道路建設などのプロジェクトに数十億ドルを投じると約束してきた。

ただ、中国政府の約束や覚書が実現に結びつくかどうかは別問題だ。
11~18年の間、中国は実際には約束額の21%ほどしか投じていない。

これに対し、オーストラリアは約束額の97%を支払っている。

ローウィー研究所の太平洋諸島プログラムの責任者、ジョナサン・プライク氏は、
中国による実際の投資額が約束額に届くかどうかに懐疑的な見方を示す。
同氏によれば、中国は口では地域への大盤振る舞いを約束しておきながら、
実際の援助はパプアニューギニア一国に集中している。
「中国がオーストラリアを追い抜くか確信を持てない。
我々の関与の度合いは中国に比べはるかに幅広く深い」としている。

中国の援助をめぐっては今年初め、
オーストラリアのフィエラバンティウェルズ国際開発・太平洋担当相が、
「不要な建物」や道路を建設しつつ貧困国に維持不可能な債務を押しつけていると批判していた。

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◎ 南太平洋で影響力拡大する中国、豪州が危機感 「約束」通りなら援助額トップに 
(2018.8.12、New Sphere)
https://newsphere.jp/world-report/20180812-1/

経済力を背景に東南アジア、アフリカなどの発展途上国への影響力を強めている中国が、
南太平洋でも勢力を拡大しつつある。
これまで、南太平洋諸国に対する経済援助の規模で地理的・歴史的関係の深いオーストラリアが
トップに立ち続けていたが、中国がそれを大きく上回りつつあるというデータが発表された。
これを受け、オーストラリア国内では、地域大国の地位を中国に奪われるのではないかという懸念が広がっている。

◆オーストラリアの4倍の支援を約束
 豪シンクタンク、ローウィー研究所が8日に発表したデータによれば、
中国は、2017年の年間ベースで、パプアニューギニアを中心に南太平洋諸国に約40億ドルの支援を約束した。
一方、オーストラリアは、2017-18の年度ベースで、約8億1500万ドルの支援を約束している。

 オーストラリアは、南太平洋諸国最大の人口を抱えるパプアニューギニアを1975年まで
委任統治領としていたなど、同地域に対して絶大な影響力を維持してきた。
政府開発援助(ODA)などの経済支援でも、長年トップの支出を行ってきた。
一方、中国は2014年の時点でオーストラリア、アメリカ、ニュージーランドに次ぐ4位の援助国だったが、
2017年に実際に支出された援助金ベースで2位になり、援助の「約束」をした総額では上記のように
オーストラリアの約4倍という突出した額でトップに立った。

 オーストラリアでは保守系政権下の2011年以来、南太平洋諸国へのODAの支出を減らし続けており、
アメリカ、EU、同地に植民地を多く持っていたフランスも削減傾向にある。
一方、中国は「一帯一路構想」と世界第2位の経済力を背景に南太平洋でも援助を拡大している。
国際開発を専門にする豪ディーキン大学のマシュー・クラーク教授は、
中国がいずれ南太平洋を援助国として支配することは予想していたが、
「これほど急速に現実となったことには驚いている」と、英ガーディアン紙に語っている。

◆「中国の罠」に強い警戒感
 オーストラリアは、地理的、政治・経済的に近い南太平洋諸国に強い影響力を持ってきた。
しかし、近年は自国の"庭"と言っても過言ではない南太平洋の支配についても
中国脅威論が識者の間に広がっている。

今年4月には、オーストラリア沿岸から2000キロしか離れていないバヌアツ共和国に
中国が軍事基地を建設しようとしていると豪紙が報じるなど、安全保障問題にも発展しつつある。
それだけに、経済援助の面で中国に大きく水を開けられつつあるという今回のデータは、
かなりショッキングなニュースとして受け止められているようだ。

 豪有力紙オーストラリアンは、バヌアツの基地の噂を、
東アフリカのジブチとインド洋のスリランカのケースになぞらえて警戒する。

ともに、中国の融資で港湾施設を建設したものの、負債を返済できなかった結果、中国国営企業の所有となり、
事実上中国海軍の拠点になっているケースだ。
同紙はこれを、融資を餌にした「負債の罠」だと表現。

中国が同様の手段で南太平洋に軍事的プレゼンスを確立しようとしているのではないかと懸念する。
 オーストラリアのフィエラヴァンティ=ウェルズ国際開発・太平洋大臣は
今年1月、中国は「使えない建物」と「どこにもつながっていない道路」を建設し、
貧しい南太平洋諸国に返済不能の負債を負わせていると非難した。
ディーキン大学のクラーク教授も、「中国は非常に譲歩した条件でインフラに融資している。
しかし、たとえ無利子でも返済はしなくてはならない」と指摘。
そして、スリランカなどで実際に起きたように、融資を受けた国が返済不能に陥った場合は
土地かインフラ資産を中国に明け渡さなければならないと警告する。
中国の狙いはまさに、好条件の融資を餌にしたインフラの実効支配かもしれない。

◆中国の援助は「約束だけ」という指摘も
 ただし、中国の援助の規模は、額面通りには受け取れないという見方も多い。
まず、2017年の援助額の「40億ドル」は、実際に支払われた額ではなく、
あくまで援助を「約束した」額でしかない。
これを受け、CNNは、「中国がオーストラリアを抜いて南太平洋諸国の最大の援助国になるかもしれない。
ただし、北京が援助の約束を守ればの話だが」と慎重に報じている。
2011年から今年にかけ、中国が実際に出した援助金は「約束した額」のたった21%で
、対するオーストラリアは97%だという。

 また、40億ドルのうちのほとんど(39億4000万ドル)は、パプアニューギニア向けで、
それも大半は国道開発を中心としたインフラ整備に対するものだ。
つまり、1国の一定のプロジェクトに集中しているわけで、南太平洋諸国全体への影響力という点では疑問符がつく。
データをまとめたローウィー研究所のディレクター、ジョナサン・ブライク氏によれば、
サモア、トンガ、バヌアツ、フィジーといった他の国々は、
"罠"に気づいて今では中国の融資を受けるのに消極的になっているという(ガーディアン)。
南太平洋諸国と一口に言っても、パプアニューギニアとその他の国々との間では、
中国に対するスタンスにかなり温度差があるようだ。
 中国の支援がインフラに集中する一方、オーストラリアと兄弟国ニュージーランドの支援は、
社会福祉や教育など国民が実際に緊急に求めている支援に幅広く振り分けられているというデータも出ている。
オーストラリアン紙は、オーストラリアは、中国の進出に浮足立つことなく、冷静に状況に対処し、
「我々はこの地域の発展に責任を持つだけでなく、
自らもその一員であるという態度を取っていくべきだ」と提言している。


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◎ パプアニューギニアの防災・減災能力強化のための支援

(無償資金協力に関する書簡の交換) (2018.8.14、外務省プレスリリース)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press6_000530.html
1 本14日(現地時間同日),パプアニューギニア独立国の首都ポートモレスビーにおいて,
我が方中嶋敏駐パプアニューギニア大使と先方リムビンク・パト外務貿易大臣
(Hon. Rimbink Pato, Minister for Foreign Affairs and Trade)との間で,
供与額3億円の無償資金協力「経済社会開発計画」に関する書簡の交換が行われました。

2 パプアニューギニアは,太平洋島嶼国で最大の面積,人口を擁し,
金,銅,石油,液化天然ガス(LNG)及び漁業資源をはじめとする豊富な天然資源に恵まれています。
一方で,他の大洋州の国々同様,気候変動や自然災害に対する脆弱性を抱えています。
さらに,国際価格等外的要因に影響されやすい産業を経済基盤としており,
資源開発の恩恵を受けていない地方との国内格差が広がりつつあるなど,経済的脆弱性を抱えています。
また,同国内の電力アクセス可能な世帯の割合は16.7パーセント(2010年),
村落部の人口に占める清潔な飲料水へのアクセスが可能な割合は33パーセント(2014年)とともに
極めて低いことから,
再生可能エネルギーの拡大による電力インフラ及び上水道の整備が喫緊の課題とされています。

3 今回の協力は,同国の中でも特に震災やサイクロン等の自然災害に対して脆弱な沿岸地域及び
島嶼部等において,地域住民のアクセスが容易で災害時の拠点となり得る施設に
太陽光発電施設及び海水淡水化装置等を設置し,
平時における住民生活に必要な電力及び飲料水を確保するとともに,
災害時に必要なライフライン(電源,水源)を確保するものです。
この協力を通じて,対象地域の基礎インフラの状況が改善されるとともに,防災・減災能力が強化され,
同国の脆弱性の克服に寄与されることが期待されます。

4 この協力は,5月18日及び19日に福島県いわき市において開催された第8回太平洋・島サミットにおいて,
我が国政府が表明した支援の柱である「強靱かつ持続可能な発展の基盤強化」に資する協力として
実施するものです。
[参考1]
パプアニューギニア独立国は,面積46.2万平方キロメートル(日本の約1.25倍),
人口約800万人(2016年,世界銀行),1人当たり国民総所得(GNI)は2,680米ドル(2016年,世界銀行)。

[参考2]第8回太平洋・島サミット
(1)第8回太平洋・島サミット(PALM8)は5月18日及び19日に福島県いわき市において開催。
16の太平洋島嶼国・地域及びオーストラリア・ニュージーランドの首脳級等が出席。
パプアニューギニアからはオニール首相が参加した。
(2)我が国は,PALM8において,
(1)自由で開かれた持続可能な海洋,
(2)強靱かつ持続可能な発展の基盤強化,
(3)人的交流・往来の活性化の3つを柱として,今後3年間でこれまでの実績も踏まえた,従来同様の,
しっかりとした開発協力の実施及び成長と繁栄の基盤である人材の育成・交流の一層の強化を表明した。


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◎ 父が戦死したパプアニューギニアで遺骨収集 姫路の男性 (2018.8.13、神戸新聞)
https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201808/0011539664.shtml

兵庫県姫路市大津区天満の郷土史家三木敏明さん(78)が3月、父叡さん=当時(24)
=が戦死したパプアニューギニアを国の戦没者慰霊事業で訪れ、
旧日本軍兵士の遺骨収集を行った。島には数多くの遺骨や遺品が眠り、一行は約300体分を持ち帰った。
日本から遠く離れた地に倒れ、人知れず眠る父らの無念に、三木さんは「
生きて帰りたかったに違いない」と思いをはせた。
 叡さんは三木さんが生後11カ月だった1940年12月に出征。
43年、パプアニューギニア・ブーゲンビル島に転戦する途中の同国ラバウルで、
連合国軍の空襲に遭って戦死した。

大手化学品メーカーを退職後、郷土に伝わる古文書や古絵図を研究する三木さんは、
遺族会の会報でブーゲンビル島での遺骨収集を知った。

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◎ 「世界で最も住みやすい都市」ランキング発表 日本の都市も上位に 
(2018.8.14、BBC) https://www.bbc.com/japanese/45178865

英誌エコノミストの調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が
このほど発表した「2018年世界で最も住みやすい都市ランキング」で、
オーストリアの首都ウィーンが1位となった。
前年まで7年連続で首位だったオーストラリアのメルボルンは2位に転落した。
EIUが毎年発表している国際調査で、ウィーンが1位となるのは初めて。

調査は世界140都市について、政治的安定性、社会的安定性、犯罪、教育、
健康医療制度の利用しやすさなどの項目を評価し、順位付けする。

調査では英マンチェスターが欧州の都市で最も順位を上げ、
前年度から16位上昇して35位タイとなった。

同じ英国のロンドンは48位で、マンチェスターとは13位差。調査が始まった20年前以来、
この2都市の差は最大となった。
エコノミストは、マンチェスターのランキング大幅上昇は、治安の点数が増えたためと述べた。

「復活力」
この調査は昨年、死者22人を出したマンチェスター・アリーナでの自爆攻撃を受けて
マンチェスターの順位を下げ、批判を受けた。

ロクサナ・スラブチェバ調査担当編集長は今年の順位について、
マンチェスターが「話題となった最近のテロ攻撃で安定性が揺らいだが、
攻撃からの都市復興で復活力を見せた」と述べた。

スラブチェバ氏は、「西欧の複数都市」で治安が改善したとし、ウィーンがランキングの首位を獲得したのは、
「治安の改善に関連する、欧州の大半にわたる安定性の回復」を反映したものだと語った。

調査結果によると、この1年で対象都市の半数近くで、住みやすさが改善した。
今年の国際ランキングでは2位となったメルボルンは、前年まで7年連続で1位だった。
オーストラリアからは他にもシドニーとアデレードの2都市が今年の上位10都市に入った。

調査の対極にある「住みにくさ」ランキングでは、
戦争で荒廃しているシリアのダマスカスが最も住みにくい都市にランク付けされた。
バングラデシュのダッカ、ナイジェリアのラゴスもダマスカスに僅差となっている。
犯罪、市民の不安、テロリズムもしくは戦争が、
同ランキングの下位10都市で「強い役割」を果たしたとエコノミストは述べた。

1位 ウィーン(オーストリア)
2位 メルボルン(オーストラリア)
3位 大阪(日本)
4位 カルガリー(カナダ)
5位 シドニー(オーストラリア)
6位 バンクーバー(カナダ)
7位 東京(日本)
8位 トロント(カナダ)
9位 コペンハーゲン(デンマーク)
10位 アデレード(オーストラリア)

2018年版 世界で最も住みにくい都市ワースト10
1位 ダマスカス(シリア)
2位 ダッカ(バングラデシュ)
3位 ラゴス(ナイジェリア)
4位 カラチ(パキスタン)
5位 ポートモレスビー(パプアニューギニア)
6位 ハラレ(ジンバブエ)
7位 トリポリ(リビア)
8位 ドゥアラ(カメルーン)
9位 アルジェ(アルジェリア)
10位 ダカール(セネガル)


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◎ 世界の希少種など200点並ぶ ひとはくで「チョウ展」 (2018.8.14、神戸新聞)
https://www.kobe-np.co.jp/news/sanda/201808/0011539612.shtml

 世界各地の珍しいチョウの標本を展示する
「美しき蝶たちとの出会い-江田コレクション展2018」が、
兵庫県立人と自然の博物館(三田市弥生が丘6)で開かれている。
鮮やかな模様のチョウや希少種など200種計千点が並ぶ。9月30日まで。

 芦屋市で幼少期を過ごした旧労働省官僚の故江田茂さんが収集した27万点に上る
昆虫のコレクションからチョウの標本を展示。

同館によると、子どもの頃から昆虫が好きだった江田さんは、海外の標本商や学者らと文通して集めた。
米国の日本大使館に勤務した際には、スミソニアン博物館と標本の交換もしたという。

 江田さんは生前、故貝原俊民前兵庫県知事と親交があり、
県が阪神・淡路大震災で傷ついた子どもたちに夢を与えようと1997年から5年かけ、
整理費用などを含め約3億3千万円でコレクションを買い取った。

 会場には、パプアニューギニアに生息する世界最大の「アレクサンドラトリバネアゲハ」や、
ペルーとボリビアにまたがるチチカカ湖にすみ、羽を開いた時の大きさが約7ミリしかない
「チチカカヒメシジミ」など希少種の標本がずらり。
フクロウのような模様のある「オオフクロウチョウ」や鮮やかな青い羽の
「マボロシアカネタテハ」なども目を引く。
 同館の山内健生主任研究員(42)は「世界的にも珍しいチョウが集まっている。
美術品のように美しい姿を楽しんでほしい」と話している。
 午前10時~午後5時。月曜休館。同館TEL079・559・2001

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◎ 各地で追悼式 6歳女児「国と国のけんか悲しい」 (2018.8.15、日経)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34166620V10C18A8CC0000/

 身元の分からない「無名戦士」や民間人の遺骨を納める千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京・千代田)では15日、
つえをついて歩く高齢者から子供まで幅広い年代の人が納骨堂の前で列をなした。

強い日差しが照りつける中、献花台に1本ずつ菊の花を手向けて焼香し、
静かに目を閉じて頭を下げた。

 埼玉県越谷市の小畑政子さん(75)は生後まもなく、当時34歳だった父を戦争で亡くした。
海軍兵として沖縄の周辺で魚雷攻撃をしていたさなかに海で命を落としたとみられ、遺骨はない。

「今日は戦死した人をお参りする大切な日。
平成から元号が変わっても追悼行事だけは時代を超えて続けてほしい」と話した。

 2017年から千鳥ケ淵を訪れているという東京都新宿区の高校3年の男子生徒(18)は
祖父が暮らす沖縄県の平和祈念資料館を訪れ、戦争の悲惨さを知った。
「亡くなった方や遺族の気持ちを忘れてはいけない」と思いを深める。
「平和な未来をつくるため若い世代も戦争を知る必要がある」と訴えた。

 全国戦没者追悼式の会場の日本武道館には午前9時すぎから喪服姿の遺族らが続々と訪れた。

 「戦争は大きな大きな、国と国のけんか。人や物がなくなっちゃう。悲しいことで、やっちゃいけない」。
「献花補助者」として最年少で参列した栃木県足利市の小学1年、
高野仁杏(にこ)さん(6)は自分なりに受け止める。

 曽祖父の木村博さんはパプアニューギニアで戦死、今も遺骨は戻ってきていない。
仁杏さんは「戦争をやらないと約束しにきた。
(他国と)仲良くなってほしい」と真面目な表情で語った。

 靖国神社(東京・千代田)でも朝早くから多くの人が参拝。
政治的な問題が絡むこともあり、警察官が巡回するなど、厳重な警備が敷かれた。
厳しい暑さの境内では水がまかれ、参拝者はハンカチで汗を拭いながら拝殿の前で列を作った。

 千葉県印西市の黒沢由美子さん(47)は息子(10)を連れて訪れた。
「この子にも、祖父のことを伝え、平和について考えてもらいたいと思って来た」と話す。
祖父は20代で出征し、戦地のビルマ(現在のミャンマー)で亡くなった。
「したくもない戦いをして、若くして亡くなったのだろう」と思いをはせ
「後の世代に戦争を伝えていきたい」と息子とともに哀悼の意をささげた。

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◎ 平成最後「終戦の日」 
惨禍 伝え続ける 茨城県代表・梶間さん、孫と共に祈り 追悼式 
(2018.8.16、茨城新聞) 
https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=15343369997491

  終戦から73年となり、平成最後の「終戦の日」を迎えた15日、
東京都千代田区の日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式には、
本県から93〜18歳の遺族100人が参列し、鎮魂の祈りをささげた。
本県代表として献花した鉾田市遺族会副会長の梶間稔さん(84)=鉾田市沢尻=は、
孫で県立鹿島灘高3年のひかるさん(18)=同=と一緒に参列。

稔さんは「時代が変わっても、平和の大切さや戦争の悲惨さを正しく語り継ぎ、
犠牲者の慰霊を続けないといけない」と力を込めた。

 稔さんの父健さんは、野砲兵第14連隊の陸軍兵長だった1943年3月3日、
日本軍が侵攻していたオーストラリア委任統治領ニューギニア(現パプアニューギニア)の
戦線立て直しのため輸送船で向かう中、敵機に襲撃され壊滅した「ダンピール海峡の悲劇」で戦死した。
36歳だった。

皇居を警護する近衛兵に選ばれるなど優秀な軍人だった父。
思い出に残るのは出征直前に稔さんが小学1年になったとき、
全ての教科書に名前を丁寧に書いてもらったこと。
「立派な人で、家ではとても優しかった」と振り返る。
 父の戦死は稔さんが小学3年だった9歳のとき。

知らせだけが届き、遺骨はなかった。
「半日以上泣き続け、声も出なくなった。今も鮮明に覚えているが、
あの思いは筆舌に尽くしがたい」と唇をかんだ。

 悲しみに暮れる母からは「父さんの所へ行こう」と言われたこともあった。
それでも母と稔さんらきょうだい4人が手を取り合い、
「つらく壮絶な日々を何とか生きてきた」。

献花の際、父に日本の恒久平和を誓った稔さんは
「平和を守るには若い人に戦争で何があったのかを正しく伝え、
犠牲者への哀悼の意を持ち続けることが大事」と強調。

県内を中心に行っている語り部の活動は「命ある限り続ける」と誓った。

 稔さんの献花を見守ったひかるさんも「戦争は多くの人が亡くなり、悲しむ。
絶対にあっては駄目」と述べ、平和の大切さを実感した。

小学生のときに曽祖父健さんが戦死したことを知ったときは「とてもショックだった」。
稔さんの思いを聞いたひかるさんは
「私たちの世代が後世に戦争の恐ろしさを伝えていきたい」と力を込めた。(高岡健作)


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◎ 子と孫と全国追悼式に参列へ 西和賀の佐々木さん (2018.8.16、岩手日報)
https://www.iwate-np.co.jp/article/2018/8/15/20558
 父を第2次世界大戦で亡くした西和賀町沢内猿橋の佐々木博さん(80)は
終戦から73年となる15日、東京・日本武道館で行われる全国戦没者追悼式に、
長女で紫波町紫波中央駅前の会社員佐藤優子さん(41)、孫の美優さん(日詰小5年)と参列する。

戦争を知る世代が減り、記憶の継承が途切れる危機感から3世代での参加を決断。
美優さんは夏休みの自由研究で戦争をテーマに選んだ。

3人は平成最後の追悼式を機に戦禍を胸に刻み、不戦の誓いを新たにする。
 「今伝えなければ、自分たちの代で遺族会も終わってしまうかもしれない」。
博さんは焦る気持ちを抱えながら、戦死した父倉吉さん=享年(32)=への思いを巡らせる。
 当時5歳だった博さんに父の死の実感はなかった。
遺骨は見つかっておらず「正確にいつ、どこで亡くなったのかは分からない。
多くの人がまとめて同じ日と場所で戦死したことになっている」と、
戦没者名簿に書かれた「1944年6月10日」の日付を見つめる。

 県職員で農業普及員の仕事のため旧沢内村(西和賀町)に赴任していた倉吉さんは、
43年に陸軍に召集された。
妻キサさんに宛てた遺品の軍事郵便には、博さんら子どもの健康や、
猿橋地区を気に掛ける内容がびっしりと書き込まれている。
手紙を手に博さんは「役場の宿直について行った時の記憶がうっすら残っている」と思い返す。

 美優さんは参列を前に、夏休みの自由研究で博さんにインタビューし、
どうして戦争が起きたか何があったのかを調べてまとめた。
「どうして家族と離れて戦地に行かなければならないのかと感じた。
戦争は絶対起こしてはいけないことだ」と力を込める。
優子さんも「娘も私も戦争について知らないことばかり。
3人での参列を機会に、次の世代につながなければいけない」と決意する。
 旧沢内村の戦没者は214人。沢内遺族会の事務局長を約50年務め、
現在も式典の参列や遺族に弔慰金手続きの案内などを精力的に続ける博さんは
「子や孫に語り継ぎ、戦争は絶対にいけない、忘れないという思いを伝えたい」と
次世代へ願いを託す。

◎ 米中が首脳会談模索、貿易摩擦を協議か 米紙報道 (2018.8.18、日経)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34310190Y8A810C1000000/

 【ワシントン=鳳山太成】米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(電子版)は17日、
米中両政府が11月の国際会議に合わせて首脳会談の開催を模索していると報じた。
米中間の貿易戦争が激しくなるなか、中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席が
対米関係を早急に改善するよう側近に指示したという。

ただ、両国は今後も追加関税を掛け合う予定で、貿易問題の対立解消につながるかは不透明だ。

 米中は近く次官級協議を開く。同紙によると、首脳会談に向け、
さらに複数回の協議を計画している。

ただ、米国が市場の自由競争をゆがめるとして批判するハイテク産業育成策
「中国製造2025」の撤回については中国側が難色を示しており、
妥協策をまとめられるかは見通せない。

 米中首脳が会談する可能性はある。
11月にはパプアニューギニアでアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議、
アルゼンチンで20カ国・地域(G20)首脳会議と、
トランプ大統領と習氏が顔をそろえる機会が控えているためだ。

 当面は米中の貿易摩擦がさらに激しくなる見通し。
トランプ米政権は23日、中国からの輸入品160億ドル分に25%の追加関税を発動する。
中国も同規模の報復関税を課す構えだ。
米政権はさらに9月にも2千億ドル分に関税を課す方針だ。

 トランプ氏は堅調な米国経済と弱含む中国経済を根拠に、
対中強硬策に自信を深めている。

一方で習氏を「友人」と呼び、会談自体には前向きな姿勢をみせている。

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◎ ビスマルク海海戦を体験 苫小牧市明徳町・綿貫喜幸さん(101)
(2018.8.17、苫小牧日報)https://www.tomamin.co.jp/feature/hyaku/1414/ 「戦争は家族のささやかな幸せさえをも奪い取ってしまう。子どもの誕生を祝ったり、
一緒に食事を取ったりすることもね」

 幼い娘を写した古い白黒写真を見詰めながら、
家族の日常を切り裂いたあの忌まわしい時代を振り返った。

 群馬県の出身で、仕事で千歳町(現千歳市)にいた1941(昭和16)年、
召集令状が届き、日中戦争の任務に当たる陸軍歩兵連隊の兵士として満州(中国東北部)へ。
部隊と共に移動し、翌年の42年から現在の広東省などを流れる河川・東江の付近で陣地警備を担った。

 銃を手に60分交代で朝も夜も周辺に目を配る日々。
歩哨に立っていた上等兵が敵兵の銃に撃たれ、命を落とすなど常に緊張が絶えなかった。

 この年の2月、苫小牧で暮らす妻のスヅイさん=現在94歳=から兵舎に一通の封筒が届いた。
封を開けてみると、前年10月に生まれた長女ヤヨイさんが生後100日を迎えたことを知らせる便箋と、
1枚の写真があった。
 長女が誕生した時はすでに戦地。
「送られてきた写真で女の子が生まれたと知り、娘の顔も初めて見た。
すぐに会いたかったけれど、どうしようもなかった」。
大事な娘の写真はお守り袋の中にそっとしのばせた。

 満州での任務を終えて42年11月、移動の命令が下った。
中国からパプアニューギニアのニューブリテン島ラバウルへ。
「激戦の南方。次はいよいよ死ぬかもしれないと覚悟した」と回想する。

 日本軍はこの年の1~2月、「ラバウルの戦い」とも呼ばれる連合国軍との戦闘で
ラバウルの港を占領。大規模な基地を設け、南方の島々に進出する作戦で激しい戦いを繰り広げた。

 だが、戦況は次第に悪化。翌年の43年3月には連合国軍のさらなる攻撃に備えて
ニューギニア島ラエ基地を増強するため、武器を積み込んだ輸送船に乗り込み、
ラバウルの港からラエを目指した。

 船内で妻からまた送られた手紙の封筒を開いた。
娘の1歳を祝う写真が入っていた。「娘の成長に立ち会えない悲しさが胸にこみ上げた」と思い返す。

 悲劇は突然襲い掛かった。ラバウルを出港してから数日後、
ニューギニア島とニューブリテン島の間にあるダンピール海峡付近で、
兵士7000人を乗せた輸送船団が連合国軍の戦闘機による猛攻撃を受けた。

船に迫る多数の戦闘機と精密な攻撃に「これは勝てないと思った」。
日本軍の輸送船8隻全てと護衛の駆逐艦があえなく撃沈。"
ダンピール海峡の悲劇"と後に語り継がれたビスマルク海海戦で、
約3000人もの兵士らが死んだ。

 沈没する船から自身も海に飛び込んだ。浮き輪代わりの竹筒につかまり、
他の兵士ら数人と共に3日間、太平洋を漂流したが、娘の写真を入れたお守り袋だけは離さなかった。

「死ぬのだろうな」。そうとしか考えられない状況だった。
しかし、運良く日本軍の船に助けられ、九死に一生を得た。

 多くの仲間の兵士たちが船と共に沈んだり、遺体が海に浮いたりしている地獄絵図を目の当たりにした。
そうした中で奇跡的に生き残ったものの、
「命を落とした仲間の兵士らに申し訳ないという思いでいっぱいだった」と話す。

 海戦の後、助けられた船でラバウルに戻り、部隊を再編成してニューギニア島へ。
マラリアを発症し、43年秋に日本へ帰還した。
 45年春にまた召集がかかった。
「この時、次女が生まれてまだ2日目。また家族と離され、戦地へ行かなければならない」と悲しみつつ部隊へ。
戦地に行かないまま終戦を迎えたが、「あの時代の悲劇を今の若い人に知ってほしい。
もう繰り返してはいけない」と力を込めた。

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◎ Four Papua New Guineans To Study In Japan (2018.8.20, Post-Courier)
https://postcourier.com.pg/four-papua-new-guineans-study-japan/

Twenty-seven-year-old Claire Philomena Kliawi is with three male counterparts
who will be leaving for Japan to undertake post-graduate studies
at various universities in Tokyo.

She is the only successful female recipient under the Pacific leaders education assistant
for development of state (P-LEADS) program
and will take up master of arts in international relations.

"As a foreign service officer within the bilateral division of the Department of Foreign Affairs
and Trade,
my research study in Japan at the Waseda University is based on the topic of PNG's
ongoing bid for Association of South East Asia Nation (ASEAN) membership.

"PNG has been lobbying for membership since 1976
and we have only made little progress to be admitted as an observer," she said.

According to Ms Kliawi, ASEAN has 10 members and PNG is
lobbying to be one considering our land border with Indonesia.

"Therefore my question to my research paper is: Is PNG's membership bid for ASEAN achievable?

If so, should we reconsider and focus on the current existing membership with APEC
and other regional and international countries?

"Being an observer does not make a difference in terms of benefits to the country
because we have been spending so much resource and lobbying without so much impact,"
 she said.

Ms Kliawi said she would pursue this so whatever the outcome of her research is,
 she would ensure it was put for policy advice through her department to the Government.

"I am very thankful to Japan International Cooperation Agency (JICA) for such
an opportunity as this is an added value to her work," she said.

"To any female out there who wish to take up further studies such as this,
is not to limit yourself, but have the ability and passion to do it and pursue it.
"Be determined and keep chasing your dreams as the sky is the limit."


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