メルマガ・広報誌

vol.195(8月20日)

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◎ 上原敏さん 母校で歌い納め
当協会会員の矢野信雄様より、上原敏さん(戦前、戦中の歌手、ウエワクで戦死)の歌を聴く会の
最終回(第30回)のご案内を次の通り頂きました。是非ともご参加ください。
お問合せはメールで協会事務局まで


前略 残暑厳しき候、皆様に於かれましてはますますご健勝の事とお慶び申し上げます。
 さて、昭和63年に産声をあげましたこの会も「平成」を走り抜け、今年は記念すべく
「令和元年」を迎える事が出来ました。長きに渡り続けられましたのも、偏に皆々様のお蔭と
心から感謝いたしております。今回30回をもって最終回とさせて頂きます。今回は最終回に因んで、
是非もう一度お聴き頂きたい作品を選りすぐり選択致しました。志生野温夫アナウンサーの名調子で
綴られた、美しい上原敏さんの世界で土曜日の午後のひと時をお過ごしいただければ幸いに存じます。早々

「日」 令和元年10月19日(土曜日)
「時間」 13時から17時予定
「場所」 専修大学 神田キャンパス5号館(7階)571教室
「交通アクセス」 地下鉄 東西線、半蔵門線、都営新宿線、九段下下車 5番出口徒歩3分
         都営三田線、都営新宿線、半蔵門線、神保町駅下車 A2出口徒歩3分
「会費」 3,000円


9月13日までに協会事務局へメールなどによりお申込み、お問合せいただけましたら、
主催者 矢野様へお取次ぎさせていただきます。

  
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◎ 第16回TOKTOK会開催のお知らせ 詳細チラシは後日メールにてご案内いたします。

講師:特定非営利活動法人 山本元帥景仰会(本会法人会員)
   
   片桐一夫氏(元長岡技術大学 技官、前新潟県山岳会 副会長、長岡地区保護司会 副会長
   樋口栄治氏(元長岡商工会議所 専務理事、一般社団法人地域ルネッサンス創造機構
         シンクタンク・ザ・リバーバンク執行理事)
   瀧澤 学氏(長岡商工会議所 総務経理グループ 担当主幹、NPO法人山本元帥景仰会 事務局)

お話概要:山本五十六記念館 開館20周年記念 「パプア・ニューギニアに感謝する報告会」

   山本五十六記念館、長官機翼についてなど、お話頂けます。

日時:9月3日(火) 1800開場、1830開会
場所:虎ノ門 霞山会館 ピオニーレストラン

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◎ 故西江雅之先生の写真展開催 7月1日ー8月31日

故西江先生写真展「異郷」が、六本木の老舗ドイツ料理レストラン、
ツムアインホルンで開催されることになりました。

六本木一丁目駅から徒歩3分ほどのところにある、とても素敵なレストランです。
ご覧いただくにはレストランでのお食事が必要で、夜は高めなのですが、
お昼は2000円くらいのランチがありお手頃です。
写真展は、レストランの壁に11枚の写真を展示するの形です。是非皆さん
足を運んでみてください。

ツムアインホルンの情報です。
http://www.zum-einhorn.co.jp/

アフリカやインド洋などで撮られた西江先生のお写真が、
高級ドイツレストランと出会って、一味違う素敵な感じになっています。

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◎ 諸星大二郎と写真家・佐藤健寿のコラボ展、西遊妖猿伝・マッドメンの原画並ぶ 
(2019.8.13、 ニコニコニュース)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5788941
諸星大二郎と写真家・佐藤健寿のコラボによる「諸星大二郎×佐藤健寿 展」が、
9月14日から10月14日まで東京・タワーレコード渋谷店8階のSpaceHACHIKAIで開催される。
2人が中国、パプアニューギニアを旅した様子をマンガやカラーイラスト、
撮り下ろし写真で紹介する共著「世界伝奇行 中国・西遊妖猿伝編」
「世界伝奇行 パプアニューギニア・マッドメン編」の刊行を記念して行われる
「諸星大二郎×佐藤健寿 展」。
展示は9月14日から30日までが前期、10月2日から14日までが後期として分けられており、
前期には「西遊妖猿伝」のイラストや原稿と中国の写真、
後期には「マッドメン」のイラストや原稿とパプアニューギニアの写真が公開される。
なお会場ではオリジナルグッズやジクレー版画などを販売。さらに9月21日には佐藤のサイン会、
10月5日には諸星のサイン本販売を行う。
サイン会の参加希望者は8月28日12時から河出書房新社のポータルサイト・Web河出にて申し込みを行い、
展覧会会場で9月14日より販売される「世界伝奇行 中国・西遊妖猿伝編」
「世界伝奇行 パプアニューギニア・マッドメン編」初回版を1冊以上購入しよう。
「諸星大二郎×佐藤健寿 展」
会期:(前期)「中国・西遊妖猿伝編」2019年9月14日(土)~ 9月30日(月)、
(後期)「パプアニューギニア・マッドメン編」2019年10月2日(水)~ 10月14日(月・祝)
会場:東京都 タワーレコード渋谷店8階 SpaceHACHIKAI
料金:500円 ※入場特典付き


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◎ 日章旗、戦没75年で遺族の手に 故郷の人が寄せ書きか (2019.8.14、 
朝日) https://www.asahi.com/articles/ASM8F4S99M8FOIPE017.html
 太平洋戦争の激戦地・パプアニューギニアで1944(昭和19)年2月に亡くなった
愛知県清須市(旧新川町)出身の深見正雄さん(当時21)のものとみられる日章旗が13日、
遺族の手に戻った。
弟の利市さん(79)=同県あま市=は「お盆に帰ってきてくれた。仏壇の両親に報告します」と語った。
 愛知県遺族連合会(名古屋市)によると、米アリゾナ州の人物がインターネットで入手。
正雄さんの名前が大書され、故郷の人と思われる多くの名前も寄せ書きのように書かれており、
出征時に贈られたらしい。
日本遺族会などを通じて同連合会などが遺族を探した結果、利市さんらに行き当たったという。
 清須市役所で永田純夫市長の立ち会いのもと、利市さんや弟の正光さん(74)らに手渡された。
2人や同連合会によると、正雄さんは旧国鉄に勤務していたが42年に陸軍兵として出征し、高射砲部隊に所属。
パプアニューギニアのラバウルで亡くなったが、当時の詳しい状況は不明という。
 利市さんは「母は寂しがり、ラバウルから帰還した元兵士たちに兄が亡くなった状況を聞いて回っていた。
顔を撃たれたらしいが、あまり分からなかったようだ」と振り返る。遺骨や遺品はなく、
死亡の連絡のほかは、現地のものらしい一握りの砂が届いただけだったという。
 戦争で、長男の正雄さんだけでなく、次男も亡くなったという。利市さんは「戦争で息子2人を亡くし、
両親は、私たちを食べさせるために高齢になっても働いていた。
難儀だったと思う。何と言っても戦争はダメだ。若い人がみんな死んでしまうんだ」と話した。(高原敦)


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◎ パプアニューギニアのブカ空港が閉鎖、ニューギニア航空便も運休  
(2019.8.15、 FLY TEAM)  https://flyteam.jp/news/article/113889
ニューギニア航空は2019年8月13日(火)から、ブカ(パプアニューギニア)発着路線を運休しています。
空港管理者の国営空港会社(NAC)が、地上におけるセキュリティと安全性の問題により、
ブカ空港を閉鎖したためです。
現在のところ、閉鎖は9月12日(木)までが予定されています。
ニューギニア航空はブカ発着では、キエタ線を週1便、ポートモレスビー線を週2便、ラバウル線を週3便の、
計週6便を直行便で運航しています。また、ブカ/ポートモレスビー線では、ラバウル経由便も運航しています。
なお、ブカ空港が再開されるまで、ニューギニア航空はポートモレスビー/キエタ線を週2便から週6便に増便します。
ブカ空港のあるブカ島は、キエタのあるブーゲンビル島に隣接しています。
閉鎖期間中、ブカ発着の航空券を保有している場合は、無料でキエタ線への経路変更ができますが、
ブカ/キエタ間の陸路での移動に関して、ニューギニア航空は責任を負いません。

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◎ 「この日」忘れずに=記憶ない父に思い-遺族代表森本さん (2019.8.15、時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019081500622&g=soc
全国戦没者追悼式で遺族代表として追悼の辞を述べた森本浩吉さん(77)=横浜市南区=は、
父利雄さんを1枚の写真でしか知らない。森本さんは「令和初の追悼式をスタートにして、
若い人には、今の日本の繁栄の礎となった『この日』を絶対に覚えてほしい。
そして戦争がない時代をつくってもらいたい」と強調する。
 利雄さんは、森本さんが1歳だった1942年12月に召集され、
44年12月3日に東部ニューギニア(現在のパプアニューギニア)で、30歳で戦死した。
戦死の知らせは46年夏に届いた。父の記憶はなく、母はつらかったのか、「いいお父さん」「優しい人」と話すだけだった
。母は体が弱く、生活は苦しかったという。
 「おやじのところに来たなあ」。森本さんは2001年、慰霊のためパプアニューギニアの地を初めて踏んだ。
現地の石を一つ拾って帰り、母に渡した。
石を握って泣いた母は、同年に88歳で亡くなった。その後も慰霊や遺骨収集の事業に参加し続け、
これまでに40回近く現地を訪問した。
 森本さんは「父との接点がなかったので、子どもが生まれてもどう接していいか分からなかった」と振り返る。
うれしい驚きもあった。長男がオーストラリアに新婚旅行した際、現地で予定を組み替え、パプアニューギニアを訪れたという。
「長男は遺骨収集を継ぐとは言っていないが、慰霊事業には一度連れていこうかな」と笑顔で話す。
 「父が生きていたら、キャッチボールでも、何でもやりたかった」と話す森本さん。
「戦争への関心も薄らいでいると思うが、若い人たちは『この日』を思い起こし、
忘れないでほしい」と話している。


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◎ (社説)8・15 戦場の記憶 時を超え、痛みを語り継ぐ (2019.8.15、 朝日)
https://www.asahi.com/articles/DA3S14139655.html
 74年前のきょう、日本の降伏で戦争が終わった。
 あの昭和の時代からどれほど時を経ても、惨禍を記憶にとどめ、
不戦と平和の誓いを語り継ぐ大切さはかわらない。
 満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、
日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。
 そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、
日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。
 大東亜共栄圏を掲げた日本は各地の要所を占領した。現地の人を巻き込み、犠牲を強いた。
はるか遠くの島や山あいで、それぞれに刻まれた戦争の記憶と戦後がある。
その傷痕に目を向けることは、歴史の教訓を学ぶうえで欠かせない。
 激戦の地で証言や資料を残そうという取り組みがある。
 パプアニューギニアの首都中心部から東に50キロ。この奥の密林で、
日本軍とオーストラリア軍の激しい攻防があった。「ココダ道の戦い」と呼ばれる。
 現場はいま、観光客に人気の山岳縦走コースだ。
近くのソゲリ村のビリー・イバイさん(50)のおじは当時、豪州軍の遺体や傷病兵、銃弾を運ばされた。
 「戦争を実体験した世代は消えていく。
体験は共有できなくとも、気持ちを寄り添わせることはできる」
 ■語られなかった苦悩
 豪州が委任統治していたニューブリテン島(現パプアニューギニア)のラバウルを攻めた日本軍は1942年、
2千メートルを超す山々を貫くココダ道を進み、豪州軍と衝突した。
 犠牲者は豪州側が600人以上、日本側が数千人以上とされる。
だが、突然、戦場となった現地の人々の恐怖や苦悩はあまり語られてこなかった。
 75年の節目である2年前、イバイさんら70人超が協力して証言集ができた。
昨年末には首都の国立博物館に、証言をビデオで見られる場所もできた。
 この事業を主導した同館学芸員のグレゴリー・バブリスさん(32)は言う。「
私たちニューギニアは単なる戦闘の背景。
豪州の歴史書には名前もない『コックの少年』『洗濯女』として登場するだけだった。
その声を代弁したいのです」
 同じような動きは、インド北東部のインパールでもある。
 「レッドヒル」。地元の人がそう呼ぶ丘が郊外にある。日本兵らの血で染まったことが由来だ。
そのふもとにこの6月、地元の観光協会が、日本財団の協力で平和資料館を開いた。
 補給が不十分なまま無理な突撃を続けた44年のインパール作戦で死亡した日本兵は、3万人超にのぼる。
一方で現地の人が強いられた犠牲をどれだけの日本人が知っているだろうか。
 館内には鉄かぶとや水筒など日英両軍の遺品だけでなく、巻き込まれた237人の犠牲者名簿も展示されている。
 ■我がことと考える
 インパールに住むチャンドラ・サキさん(85)は当時を鮮明に覚えている。
 朝、約10機の日本軍の飛行機が、爆音とともに激しい空襲を始めた。父と一緒に地面に伏せた。
何も持たず別の村に逃げ、1年半後に戻ったが家はなく、英軍の拠点となっていた。腹をすかし、村を転々とした。
 「戦争は家を奪い、命を奪う。この体験を資料館が次世代に伝えて欲しい」と話す。
 開館前、地元の設立委員の人たちは日本を訪れ、沖縄の南風原文化センターとひめゆり平和祈念資料館を見学した。
のどかな町や村など広域が熾烈(しれつ)な戦場となり、故郷が破壊された沖縄。
その史実はインパールに通じる、と感じたという。
 ひめゆり資料館は今年、開館30周年を迎え、新たな課題に直面している。
最近、来館者の感想に「ぴんとこない」との言葉があった。
戦争が遠い昔の出来事に思われていると、館長の普天間朝佳さん(59)は言う。
 99年度に100万人超だった入館者数は18年度は約53万人まで減った。
修学旅行も減少傾向にある。その流れを変えたいと、来夏に「さらに、
戦争から遠くなった世代に向けて」というテーマでリニューアルする。
 ひめゆり学徒は沖縄戦で陸軍病院に動員された地元の女学生計222人で、うち123人が戦争で亡くなった。
 展示の刷新のかぎは「共感」。戦争前の学校生活での笑顔や表情豊かな写真を使い、身近に感じてもらう。
中高生らに、学徒が同じ世代で楽しい学校生活があったことを訴えかける。
 ■戦後世代の責任
 大切なのは、踏みつけられた人、弱い立場の人の痛みを知ることではないか。
 自分の国の暗い歴史や他人の苦しみを知り、思いをはせるのは簡単ではない。
だが、今の世代が先人らの心情を受け止め、戦争の愚かさを伝え、未来を切り開かねばならない。
 過去を反省することは後ろ向きの行為ではない。未来に向けての責任である。

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◎ 不戦の誓い、令和に継ぐ=陛下「深い反省」踏襲-終戦74年、
全国戦没者追悼式 (2019.8.15、 時事通信)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019081500555&g=soc
 終戦から74年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が、東京都千代田区の日本武道館で開かれた。
令和最初の追悼式には、天皇、皇后両陛下や安倍晋三首相、全国の遺族ら6497人が参列し、
先の大戦の戦没者約310万人の冥福を祈った。
初めての参列となった天皇陛下はお言葉で、上皇さまが使った「深い反省」との表現を踏襲し、
平和を思う気持ちを示された。
 式典は午前11時50分すぎに開始。会場に入った両陛下は壇上に上り、
「全国戦没者之霊」と書かれた標柱に深々と一礼した後、向きを変えて遺族らにも深々と頭を下げた。
正午に参列者全員で黙とうを1分間ささげた後、天皇陛下が「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、
ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願う」とお言葉を読み上げた。
 これに先立ち、安倍首相は式辞で「今、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれた」と追悼。
その上で、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。
この誓いは、昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」と述べた
。歴代首相が言及してきたアジア諸国に対する損害や反省には今年も触れなかった。
 父が東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で戦死した横浜市南区の森本浩吉さん(77)は遺族を代表し、
「(8月15日が)『戦没者を追悼し平和を祈念する日』であることを全ての国民が胸に深く刻み、
ご英霊に感謝ししのんでいただくことを望む」と追悼の辞を読み上げた。両陛下は森本さんの方向を見詰め、聞き入っていた。
 厚生労働省によると、参列遺族は4989人で、台風10号の影響で宮崎県の遺族約50人が欠席するなどした。
最高齢は夫を沖縄戦で亡くした内田ハルさん(97)で、最年少は4歳。戦没者の父母は9年連続でいなかった。

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◎ 都戦没者追悼式に677人 11歳が遺族代表あいさつ (2019.8.15、産経デジタル)
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/190815/plt19081520190033-n1.html
74回目の終戦の日を迎えた15日、都内各地でも戦没者追悼式や戦争に関する行事が催され、
参加者は犠牲者の冥福を祈るとともに、平和への誓いを新たにしていた。
都主催の追悼式は文京シビックホール(文京区)で営まれ、遺族ら677人が出席した。
 都の追悼式で、小池百合子知事は式辞で「昭和から平成、そして令和へと元号も改まったが、
いまなお戦争の残酷さ、悲惨さに痛惜の念、極まりないものがある。
オリンピック・パラリンピックまであと1年。この平和の祭典を必ず成功させ、平和な世界を次世代へと引き継ぐ」と述べた。
 参列者の最高齢は97歳、最年少は6歳。遺族代表として、狛江市の武藤孝行さん(77)と、
北区の松原瑠子(りこ)さん(11)=お茶の水女子大付属小5年=が壇上に立った。

 武藤さんは父親が東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で戦死したことに触れ、
「遺族の切なる願いは、2度と戦争はあってはならない。起こしてはならないということ。
戦争を知らない次世代に語り継ぐことがわれわれの務めだ」と述べた。
 「今の平和な時代が、(戦争で)犠牲になった人たちの国の平和と家族の幸福を願う強い思いの上に築かれていることを
きちんと受け止め、忘れてはいけない」
 遺族代表として、松原瑠子さんは前を見据え、しっかりと誓った。
 瑠子さんの祖父、茂さんの兄2人はマリアナ群島で戦死した。祖父も特攻隊に志願したが、
出撃命令が出る前に終戦を迎えた。祖父は27年前に死去しており、瑠子さんは祖父の顔を知らない。
 しかし、父の義孝さん(54)からは「おじいさんが特攻隊に出撃していたら、
お父さんもお前もこの世に生まれていないのだよ」と聞かされてきた。
 瑠子さんは戦争について「学校の授業でもまだあんまり習っていない。テレビで見るような知識しかない。で
も私の知っていることはみんなに伝えていきたい」と願う。
 今回、追悼の言葉を依頼されたとき「ちょっと恥ずかしいな」と思ったが、「こんな機会はない」と快諾。
言葉の最後を「父が祖父の思いを引き継いだように、私も父の思いを受け継いでいこうと思います」と結んだ。
そして無事に務めを終え、「緊張した」と笑顔を見せた。

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◎ 草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱
(2019.8.12、 在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/files/000505988.pdf

在パプアニューギニア日本国大使館 草の根・人間の安全保障無償資金協力外部委嘱員

業務内容:委嘱 募集分野:多岐に亘る分野 業務内容:
在パプアニューギニア日本国大使館における草の根・人間の安全保障無償資金 協力に係る以下の業務
1 申請案件の受付及び検討
2 申請案件内容の技術的検討
3 実施中案件の実施促進
4 実施中及び実施済案件の管理
5 申請・実施団体との連絡及び協議
6 各種報告書作成
7 事前調査
8 モニタリング調査(進捗/中間/完了)
9 フォローアップ調査
10 式典関連補助業務

業務対象国地域 パプアニューギニア 業務期間 2019/11/1~2020/3/31 各年度の委嘱期間は年度末(3月 31 日)までとし、
双方の合意により、最長3年間まで 延長可能。2年以上の継続契約を希望するものが望ましい。
職種:その他

応募条件等 必要な語学力:英語 申請・実施団体と円滑なコミュニケーション(口頭・文書)が図れるレベル
類似業務経験年数:考慮する。
業務内容による年齢の目安:なし その他必要な業務経験・能力:上記業務を行うために必要なコミュニケーション能力
・調
整能力・事務処理能力(ワード、エクセル、その他パソコンの操作(簡易な図表作成等を
含む) )があること。 待遇:
(1)業務時間:当館の勤務日・勤務時間に準ずる。
(参考)
当館の勤務時間:8:00~16:45(昼休み12:00~13:00)
休館日:土曜日、日曜日及び当館の定める休館日
ただし、必要に応じて上記時間外でも現地調査等を実施する事がありうる。
(2)謝金:外務省外部委嘱員制度の規定により支給
(3)住居費:外務省外部委嘱員制度の規定により支給
(4)その他:日本から当地までの渡航費用(往路、復路航空賃(ディスカウント・エコノミ
ー料金) 、空港使用料、予防接種料、査証取得料、着任に係る支度料、移転料等(外務省外部委
嘱員制度の規定により支給))
(5)一般旅券
※外部委嘱員契約は雇用契約ではなく、業務の委嘱契約であるため、通常の雇用契約に含まれ
る各種待遇は含まれません。各種保険にはご自身で加入していただく必要があります。

募集人数:1 募集期間:2019/8/12~8/23

応募方法 応募方法:下記の書類を担当者宛に、件名を「【応募】草の根外部委嘱員(氏名)」として、
応募先 Email アドレスまで送付してください。 ・和文履歴書 ・職務経歴書 ・志望動機・自己 PR(A4 版1枚、形式自由)

応募時の注意事項 ・8 月 28 日(水)までに、書類選考合格者に対して連絡の上、
電話インタビューを実施し、 合格者を決定します。(書類選考不合格者には個別に連絡致しません。
・書類にご記入いただいた個人情報は選考のみに使用します。
 ・応募の秘密は厳守します。 ホームページアドレス:https://www.png.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/

問い合わせ先 担当部課:経済・経済協力班 担当者氏名:谷地舘 貢(やちだて みつぐ)
電話番号:+675(321)1800 Email アドレス:mitsugu.yachidate@mofa.go.jp
担当者からの一言:案件管理、フィールドでの案件調査、文章作成、・管理、他州への出
張等多岐に亘る仕事に前向きに取り組める方を歓迎いたします。なお、当地は犯罪等が多
発する地域であり、必要最低限の用事以外の外出は控えることが推奨されていますので、
応募に当たっては事前にご理解ください。


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