vol.302(8月19日)
★★・‥...―━━━―...‥・・‥...―━―...‥・・‥...―━━━―...‥・★★◎ マラペ首相再選出(2022.8.9、JIJI.COM)
https://www.jiji.com/jc/p?id=20220810092007-0042611843
パプアニューギニアの国会は9日、マラペ首相を改めて選任し、政権は2期目に入った。
写真は同日、ポートモレスビーの国会で、演説するのマラペ氏。
「団結を示してくれた国会に感謝したい」と述べた。【AFP時事】
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◎ 太陽系外から飛来して海に沈んだ「恒星間天体」を磁石で回収する計画が立案される
(2022.8.10、GIGAZINE)
https://gigazine.net/news/20220810-magnet-interstellar-meteorite/
ハーバード大学の研究チームが、2014年に太陽系外から飛来した隕石(いんせき)
「CNEOS 2014-01-08」の回収計画「Galileo Project(ガリレオ計画)」を立案しました。
ガリレオ計画は巨大な磁石でCNEOS 2014-01-08を海中から回収することを目的としており、
160万ドル(約2億1600万円)の費用がかかると見積もられています。
CNEOS 2014-01-08は2014年1月8日にパプアニューギニアの北東沿岸部に落下した隕石で、
落下速度が太陽系内の小惑星ではあり得ない速さであったことから、
太陽系外から飛来した恒星間天体であると推測されています。
ガリレオ計画では船舶から巨大な磁石をぶら下げ、
CNEOS 2014-01-08が落下したパプアニューギニア周辺の海域を10日間にわたって航行し、
磁石に約0.1mmの隕石を引き寄せます。
研究チームの一員であるアミール・シラージ氏によると、CNEOS 2014-01-08は強い磁性を持っている可能性が高いとのこと。
このため、ガリレオ計画で回収する隕石の中にCNEOS 2014-01-08の破片が含まれることが期待されています。
ガリレオ計画の実施には160万ドルの費用が必要であり、すでに50万ドル(約6700万円)の資金を確保しているとのこと。
シラージ氏は「恒星間天体を分析するもう1つの方法は、
地球の付近を通過する恒星間天体にアクセスする宇宙ミッションを開始することです。
しかし、宇宙ミッションにはガリレオ計画の約1000倍の費用がかかるでしょう」と述べ、
ガリレオ計画のコストパフォーマンスの高さをアピールしています。
なお、CNEOS 2014-01-08のような恒星間天体は宇宙の神秘を解き明かすカギとして注目されており、
2017年には地球に接近した恒星間天体「オウムアムア」の観測結果から組成や軌道が分析されました。
ガリレオ計画によってCNEOS 2014-01-08が回収された暁には、さらに詳しい分析が行われることが期待されています。
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◎ 戦中写真展 平和考える きょうまで(2022.8.14、読売オンライン)
https://www.yomiuri.co.jp/local/miyagi/news/20220813-OYTNT50082/
太平洋戦争中の写真から平和の尊さを考える「平和を願って 戦争写真展」が、
仙台市青葉区の市福祉プラザ2階展示ロビーで開催されている。
県内の戦没者遺族らでつくる宮城平和遺族会の主催で、戦時中の写真約40点を展示。
仙台空襲直後の町の焼け跡や、戦死者の遺骨が車に載せられ運ばれていく様子などを生々しく伝えている。
同会事務局長の出浦由美子さん(79)の父はパプアニューギニアで戦死。
残された母と5歳上の兄の3人とで懸命に暮らしてきた。
「ロシア軍がウクライナに侵攻している今だからこそ戦争の実態を知り、
平和の大切さを見つめ直してほしい」と呼びかけた。
家族で訪れた宮城野区の中学生(13)は「泣いている女性の写真を見て戦争の悲惨さを感じた」と話した。
14日まで。午前10時~午後4時。入場無料。
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◎ 「総員玉砕せよ!」 戦友にささげた漫画 左腕失った水木しげるさん(2022.8.15、毎日新聞)
https://mainichi.jp/maisho/articles/20220815/kei/00s/00s/016000c
「ゲゲゲの鬼太郎きたろう」などで知しられる漫画家まんがかの水木みずきしげるさん(1922~2015年ねん)は、
第二次世界大戦だいにじせかいたいせん中ちゅうに南太平洋みなみたいへいようのラバウル
(現げんパプアニューギニア・ニューブリテン島とう北東部ほくとうぶ)で左腕ひだりうでを失うしないました。
家族かぞくに戦争せんそうについて語かたることは少すくなかったそうですが
晩ばん年ねんは戦争せんそうのことばかり話はなしていたといいます。
長女ちょうじょの原口はらぐち尚子なおこさん(59)と次女じじょの武良むら悦子えつこさん(55)は
「戦争せんそうで左腕ひだりうでをなくした話はなしや現地げんちの住民じゅうみんのことは聞きいていましたが、
過酷かこくな体験たいけんは聞きいたことがなかった」と言いいます。
晩ばん年ねんになって、「10人にんくらいいた戦友せんゆうは、みんな死しんだ。
最初さいしょに親友しんゆうが死しんだ。死しんだからといって泣なく時間じかんはない。
明日あすは我わが身みだから」と話はなしていたそうです。
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◎ 「悲惨さ語り継ぐ」戦没者追悼式(2022.8.15、下野新聞)
https://www.shimotsuke.co.jp/articles/-/623399
厳しい日差しが照りつける中、全国戦没者追悼式の会場となった日本武道館(東京都千代田区)には、
高齢の遺族が喪服姿で足を運んだ。戦後77年を経ても変わらぬ悲しみを抱え「悲惨な歴史を語り継ぐ」と誓った。
正午の時報に合わせ、黙とうした。秋田市の佐藤勝也さん(54)は、祖父善之助さんがパプアニューギニアで戦病死した。
身元が分からない「無名戦士」や民間人の遺骨約37万柱を納める千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れた
東京都杉並区の女性(75)は、夫の伯父が戦死した。小さな丸い石が届いただけで、どこで亡くなったかも分からない。
「戦争の痛みは忘れられない」と語った。
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パプアニューギニアで、…(2022.8.16、アジア経済ニュース)
https://www.nna.jp/news/show/2376734
パプアニューギニアで、議会(定数111人)総選挙の結果が確定した。マラペ首相の続投が決まり、
何もスキャンダルなどがなければ任期に従い約5年の政権が続く。
出馬していた女性看護師の友人は、残念ながら落選した。
パプアの投票制度は、オーストラリアと同じように候補者に順番を付ける選好投票制だ。
ただ、インフラが整っていない中での開票作業の手間を省くことや、
恐らく大勢の候補者が出ることを考慮して上位3人を選ぶことになっている。
友人は1位票の数を基準にすると、彼女の選挙区では候補者38人の中で16位だった。
健闘したとも言えるが、得票率は1.9%で得票数は664票。
友人の村の人口がその程度だから、村を越えて支持を広げられなかったとも言える。
次の選挙がいつになるか分からないが、
同国でようやく増えてきた女性候補者の1人として次回も挑戦してほしい。(欣達)
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◎ 不戦、平和の大切さ改めて 終戦77年 静岡県内各地で追悼
(2022.8.16、静岡新聞) https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1108877.html
終戦から77年となった15日、県内各地で追悼式典が行われた。
家族を失った悲しみを抱えて参列した遺族は、
ロシアのウクライナ侵攻や台湾を巡る情勢が緊迫化していることなどを踏まえ、戦争の不毛さと平和の大切さを訴えた。
強い日差しが照りつける中、参列者たちは「人間の尊厳が無視される戦争を二度と繰り返さない」との思いを強くした。
静岡市主催の式典で追悼の辞を述べた市静岡遺族会監事の為貝宏邦さん(79)。
父超禅(ちょうぜん)さんはパプアニューギニアで戦死した。空爆で被弾し破片が体に刺さった。
十分な手当てを受けられず息を引き取ったという。当時、宏邦さんは1歳。
「戦争遺児の多くは父の胸のぬくもりすら知ることができなかった」と語り、
「世界ではいまだに人間の尊厳を無視した行為が行われている」とやりきれない思いを口にした。
「叱られたり、会社に弁当を届けたりした」。
同市駿河区の中川琉美子さん(83)は父春一さんとのわずかな思い出をたどった。
ビルマ(現ミャンマー)で戦死。缶詰会社の仕事でビルマに渡ったはずだったが、現地召集された。
戻ってきたのは死亡通知の白い紙1枚だった。中川さんはいまだに、戦争の映像は直視できない。
「それでも私たちの経験を若い人に語り継がなければならない」と決意を新たにする。
式典では不安定さを増す国際情勢に触れる遺族も多かった。
浜松市戦災遺族会長代行の森下結城子さん(59)は「この日を迎えるたびに悲惨な戦争を二度と繰り返さないと誓ってきたが、
残念なことにロシアによるウクライナへの武力侵攻があった」と憤り、
「どんな理由からの戦争も許すわけにはいかない」と言葉に力を込めた。
3歳の時にフィリピンで父が戦死した沼津市遺族会の杉山茂会長(80)もウクライナの惨状に心を痛める。
「9割が戦争を知らない世代となり、記憶を風化させないことが大切。
戦争の悲惨さ、人の命の大切さを訴え続けたい」と誓った。
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◎ 「人の殺し合いだめ」 最年少参列の7歳―曽祖父思い、追悼式に・終戦記念日
(2022.8.16、JIJI.COM)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2022081500549&g=soc
「戦争は人の殺し合いだからだめです」。
全国戦没者追悼式で最年少参列者となった高知市の小学2年磯野万葉君(7)は、
はにかみながらもはっきりとした口調で話した。
曽祖父の吉川重久さんは1942年11月に30歳で戦死。
万葉君は遺族会の活動などで戦争について学んできたといい、初めて参列した式典で恒久平和を誓った。
叔父の吉川裕三さん(57)によると、重久さんは「当時は珍しい、家事を手伝う優しい人」だった。
旧満州などに派遣された後、太平洋戦争の激戦地、東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で亡くなった。
戦死した際の詳しい状況は分からず、裕三さんは「本人は死ぬつもりはみじんもなかったと思う。
食料も弾薬もない中、さぞ無念だっただろう」と話す。
「遺品」としてたばこケースと眼鏡が届いたが、本人はたばこを吸わず、眼鏡も掛けていなかったことから、
お墓には自宅にあった腕時計を納めた。
万葉君は小学校入学前から、遺族会の慰霊碑の清掃活動に参加するなどしてきた。
重久さんについては「おじいちゃんが2歳の時に戦争に行って、ひいおじいちゃんは亡くなりました」と話すものの、
「分からないことも多いです」。参列が決まってからは、
「火垂(ほた)るの墓」で知られる故野坂昭如さん原作の映像作品を鑑賞するなどし、戦争がもたらす悲劇に触れてきたという。
裕三さんは「まだ理解できていないことも多い。ただ戦没者の慰霊をしているということ
戦争の記憶継承のため続けないといけないことに、いつか気付いてほしい」と話す。
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◎ 【終戦記念日に寄せて】 今日(8/15)は、77回目の終戦記念日であり、昭和19(1944)年...
(2022.8.16、JIJI.COM)
https://go2senkyo.com/seijika/161959/posts/441323
【終戦記念日に寄せて】
今日(8/15)は、77回目の終戦記念日であり、
昭和19(1944)年に駐在先の中国山東省沂水県で落命した母方祖父の命日、
そして、平成15(2003)年に他界した父の命日でもあります。
全国各地で行われた戦没者追悼式の様子が放送各局のニュースで報道されていましたが、
追悼の言葉のなかには、
平和を希求し続けることとともに今なお戦火にあるウクライナへの祈りが込められていたことが印象的でした。
わが国が平和であることは、国民はもとより、幾多の外交努力によるものであり、
このことに感謝しなければならないと改めて惟いました。
78年前、母方祖父は、駐在先の中国山東省沂水県で6,000人もの延安軍魯中軍の急襲に遭遇し、
3日間の激戦の末に落命したのですが、その際、祖父は民間人として沂水県にいた日本人の解放を申し出て、
自分と自分の義理の妹(私の大叔母)が人質になることを条件として落命しました。
祖父は昭和11(1936)年からの8年間を中国で過ごしたのですが、沂水県に赴く前の、
山東省徳県(当時の地名表示)済南で過ごした時期が祖父の人生の中で最も穏やかで幸せだった歳月ではなかったかと惟います。
父方祖父は海軍に属しており、終戦をラバウル(パプアニューギニア)で迎えました。
日本に帰国できるまでの日々、マラリアに罹り、捕虜をも経験し、それでも生還することができたのですが、
戦地でのことも戦争そのものについても、78歳で他界するまで口にすることはほぼありませんでした。
今年も終戦記念日を前に、NHKでは、ETV特集「侍従長が見た 昭和天皇と戦争」、
<新・ドキュメント太平洋戦争「1942 大日本帝国の分岐点」>を放送していましたし、
今夜は「ビルマ撤退戦 絶望の戦場~大東亜共栄圏の最期」が放送されています。
私が生まれたのは、終戦から25年後の昭和45(1970)年ですが、その後でも、
昭和47(1972)年にグアムで現地の方に見つけられて日本に帰還した横井庄一さん、
昭和49(1974)年にフィリピンから帰還した小野田寛郎さんと、
旧日本軍に招集されて終戦になってもなお現地に留まっていた方のことを、
自分の両祖父の人生とともに大人になって知って、
多くの国民の人生を大きく変えた戦争という惨禍を二度と起こしてはならないのだという思いを強くしました。
先の大戦によって亡くなられた数多くの方々のご冥福とご遺族の方々の悲しみが少しでも癒えますようにとお祈り申し上げます。
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◎ 南洋に散った画家 笠秀雄氏(旧18)の遺作展(2022.8.17、九州学院)
https://kyugaku.ed.jp/dousou/2022/08/-18.php
8月1日から、笠秀雄氏(旧18回卒)の遺作展が菊池市泗水町の資料館「菊池飛行場ミュージアム」で開かれます。
笠氏は太平洋戦争の激戦地、ブーゲンビル島(現パプアニューギニア)で戦病死した菊池市出身の画家です。
生前、「芸術家として死ぬよりも平凡な兵隊として死んだ方が尊い」と、
すべての作品を処分するよう家族に書き残しましたが、甥の笠昭二さんが心中を推し量りながら、
17年ぶりの公開を決めたものです。
笠氏は1914年に菊池市広瀬で産声を上げ、来民小学校を経て5年間を旧制九州学院中学校に学び1933年に卒業しました。
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)に進んだ後、菊池郡泗水西部校の教壇に立っていましたが、1939年に応召されました。
しかし、中国、南方での過酷な兵役の間にも笠美波(みは)のペンネームで詩を綴り、スケッチのペンを走らせ、
30歳の若さで1944年にブーゲンビル島で戦病死するまでの5年の間その作品を故郷に送り続け、
人々に勇気と感動を与えました。
遺作展は「花房(菊池)飛行場の戦争遺産を未来につたえる会」主催。
展示期間は半年ほどの予定。開館時間は午前10時~午後4時。無休。入館料200円となっています。
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◎ 慰霊 終わらぬ日々…父眠る「墓島」遺骨収集(2022.8.15、読売オンライン)
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20220815-OYTNT50025/
戦後77年の終戦の日の15日、福岡県みやま市の田中恵美子さん(82)は
福岡武道館(福岡市中央区)で開かれた県主催の戦没者追悼式に参列し、
ブーゲンビル島(現・パプアニューギニア)で戦死した父の冥福めいふくを祈った。
故郷から遠く離れた島で多くの日本兵が亡くなったことに胸を痛め、現地での慰霊や遺骨収集を続けてきた。
戦争の悲惨さに思いを巡らせ、「二度と悲劇が繰り返されないように」と願った。(後田ひろえ)
「戦争が起きたためにどれだけたくさんの方々が嘆き悲しみ、苦しんだことでしょう」。
田中さんはこの日、追悼式に先立って開かれた「語り部の会」で、中高生らを前に自分の半生を振り返った。
生まれて半年後、父の龍照夫さんが陸軍に入隊。田中さんは当時暮らしていた同県大牟田市で空襲に遭った。
爆風で吹き飛ばされた人たちが柿の木にぶら下がっていた。
防空 壕ごう に避難しようとした母子のうち、母だけが中に入った瞬間
その壕が爆撃を受けた光景も忘れられない。
父の戦死の知らせを受けたのは終戦の年。南太平洋のブーゲンビル島での戦闘で命を落としたという。
29歳だった。学校の講堂に白い布がかかった木箱が並び、中は木の札だけ。
国民学校1年だった田中さんが持ち上げられるほど軽かった。
終戦から1年後。母にピンク色の真新しいワンピースを着せてもらい、
一緒にアイスキャンディーを食べに出かけた。直後、母は姿を消した。
母と納まった写真の裏には「昭和21年7月、最後の別れ」と母の字で書かれていた。
それから父方の祖父母に育てられ、家族連れを見るのがつらかった。
「『戦争のせいだから』と自分に言い聞かせ、母を責める気持ちを抑えた」と明かす。
結婚し、3人の子の母親になった。家事や子育てに追われ、戦争の記憶は心の奥に封じ込めた。
転機は約30年前。祖父が関わっていた遺族会に誘われ、父が眠る島を初めて訪れた。
青い空に南国の色とりどりの花々。「本当にこんな平和なところで戦っていたのか」と驚き、涙があふれた。
「お父さーん、来ましたよー。これまで頑張って生きてきたねと褒めてください」と何度も叫んだ。
以来、国の事業に参加してブーゲンビル島に16回渡り、戦没者を慰霊したほか、同島や周辺の島で遺骨収集にも取り組んだ。
「父と同様に島で戦死した人たちを供養したい」との思いに突き動かされた。
ソロモン諸島周辺で戦った元兵士や遺族らでつくる「全国ソロモン会」(東京)によると、
「墓島」と呼ばれたブーゲンビル島では、約3万3500人の日本兵が飢えや病気などで死亡したとされる。
田中さんによると、現地では日本兵の遺体は1・5メートルほどの地中に手を組んだ状態で埋められ、
頭は日本の方角に向けられていた。洞窟の壁に「お父さん、お母さんに会いたい。日本に帰りたい」と書かれていたという。
年齢を重ね、島には2009年を最後に行っていないが、「終戦から77年たっても現地に眠っている遺骨があり、
捜している家族がいることを若い人たちに知ってほしい」と話した。
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◎ パンデミックメジャーNo.2(国際渡航)の更新について(2022.8.8、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html
パプアニューギニアにお住まいの皆様及び渡航中又は渡航予定の皆様へ
8 月 4 日、マニング・パンデミック指揮官は、
国際渡航に関する規制(Pandemic Measure No.2)を更新しました(5 日から有効)。
従来の規定では、フィリピン、中国(香 港)、
シンガポールからPNGに入国する渡航者は到着時の COVID-19 検査が必要と
されていましたが、5 日以降は検査不要となりました(豪州から入国の場合は従来か ら不要)。
なお、PNG 行きのフライトにチェックインする際には、従来どおり、
18 歳以上の外国 人は以下に示すワクチンを完全接種(fully vaccinated)し、ワクチン接種証明を提示す る必要があります。
(チェックインに際して必要な提示物は、有効な旅券と査証の他は、 ワクチン接種証明のみです。)
1 Oxford-AstraZenica COVID-19 Vaccine
2 AstraZenica COVID-19 Vaccine (COVISHIELD/SII)
3 Pfizer–BioNTech COVID-19 Vaccine
4 Moderna COVID-19 Vaccine
5 Johnson & Johnson COVID-19 Vaccine(1回のみ)
6 Sinopharm-BBIBP
7 CoronaVac Sinovac
8 Novavax COVID-19 Vaccine
9 Covaxin (Bharat Biotech)
10 Covovax (SIINVX-CoV2373)
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◎ ポートモレスビー市内の治安状況(2022.8.12、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/files/100381106.pdf
PNG 総選挙に伴うポートモレスビー市内の治安状況について、改めて注意喚起いたします。
先週末の時点において、2022 年総選挙で争われた 118 議席中 33 議席の開票結果が 8 月 5 日(金)の期限までに
発表されなかったことから、PNG 選挙管理委員会は当該 33 議席の選 挙終了日を本 12 日(金)16 時に再延期しました。
しかしながら、現時点においても NCD3 議 席
(Governor, Moresby North-East, Moresby North-West)の結果が発表されていない状況が 続いています。
現在も開票作業の過程で不正があったと主張する人々や、作業の遅れに不満を抱く人々 等、
様々な不安定要因が蓄積している状況に変わりはなく、今後デモの発生等、急激に治安 が悪化する可能性は否定できません。
ついては、ポートモレスビーに滞在中の皆様におかれましては、特に外出の際には引き続き警戒していただくとともに、
以下の開票所等の選挙関連施設のみならず、人が多く集まる場 所には近寄らない等の対策を講じるようお願いします。
<ポートモレスビー市内の開票所>
1 John Guise Stadium(Moresby North-East 選挙区)
2 Rita Flynn(NCD 知事)
3 Pacific Institute of Leadership and Governance(Moresby North-West 選挙区)
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