vol.312(11月30日)
★★・‥…―━━━―…‥・・‥…―━―…‥・・‥…―━━━―…‥・★★◎ 自衛隊音楽まつりが18日、日本武道館で3年ぶりに開催されました。
(2022.11.18、選挙ドットコム)
https://go2senkyo.com/seijika/121927/posts/483545
自衛隊音楽まつりが18日、日本武道館で3年ぶりに開催されました。
自衛隊陸海空の音楽隊の他、在日米軍、パプワニューニギア軍軍楽隊、パキスタン陸軍軍楽隊が友情出演。
パプアニューギニアの軍楽隊は陸上自衛隊が創設・育成したともので「ふるさと」や「上を向いて歩こう」を演奏しました。
「上を向いて歩こう」は日本語で歌い、私も手拍子をして盛り上がりました。
パキスタン陸軍軍楽隊は日・パキスタン外交関係樹立70周年を記念して来日。
パキスタン北部の静かな渓谷に似ているということで「風の谷のナウシカ」を演奏しました。
私は日本パキスタン友好議員連盟の幹事長を務めており、パキスタン国旗と日の丸がついた楽器を見てとても嬉しくなりました。
海上自衛隊東京音楽隊が演奏した「宇宙戦艦ヤマト」は私にとって若い時から大好きな曲です。声にださず、口ずさみました。
いつも最後に演奏される「軍艦行進曲」の演奏は一隊列が錨(いかり)の形に変わっていくのが見事です。
北海道から九州まで10の部隊が集まった、「自衛隊太鼓」は力強い響きを轟かせました。
最後は全出演部隊が勢ぞろい。白の特別儀仗隊と他の紺や赤い制服とのコントラストが美しいと感じました。
これまで、何度も鑑賞したことがありますがコロナのために部隊数、観客も絞られていました。
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◎ 140年間も生存が確認されていなかった鳥、パプアニューギニアで発見(2022.11.22、Swtch News)
https://switch-news.com/science/post-84700/
長い間、目撃されてこなかった稀少な鳥が、パプアニューギニアで再び発見された。
今年9月の調査で発見
その鳥とは「Black-naped pheasant pigeon」と呼ばれる、ゴクラクバトの仲間だ。
このハトは140年前に目撃されたのを最後に、ずっと生存が確認されてこなかったという。
しかし今年の9月に、パプアニューギニアの東海岸にあるファーガソン島で調査が行われ、
その姿が確認された。それがこちら。
150種以上の鳥類を再発見する調査
「Black-naped pheasant pigeon」は1882年に初めて研究者によって確認されたが、
以来目撃されず、絶滅が危惧されてきたという。
しかし今回、保護団体の「リワイルド」と「バードライフ・インターナショナル」、
「アメリカン・バード・コンサーバンシー」の共同研究の一環として、調査チームが編成されたそうだ。
この共同研究は、絶滅が宣言されていないものの、
少なくとも10年間は目撃されていない150種以上の鳥類を再発見することを目的としている。
2019年の調査では発見できず
「Black-naped pheasant pigeon」は、
100年以上目撃されていない約20種の「失われた鳥」のうちの1種で、大きさはニワトリほど。
またニューギニア周辺に生息する4種のゴクラクバトのうちの1種で、ファーガソン島のみに生息しているという。
研究者たちは2019年に同島で、地上に生息する「Black-naped pheasant pigeon」の居場所を突き止めようとしたが失敗していた。
今回の調査隊のリーダーであるジョン・C・ミッターマイヤー氏は、次のように語っている。
「これほど長い間、姿を消していたものを見つけ、ほとんど絶滅したと思っていたものが、
絶滅していないことが分かるなんて、ユニコーンやビッグフットを見つけたような気分です。
極めて異例なことです」(了)
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◎【つなぐ戦争体験】(下)「語り継ぐ遺児の会」立ち上げ 世代の壁を越えて(2022.11.24、Yahoo)
Yahoohttps://news.yahoo.co.jp/articles/d84cd83d833118addaee2948a672b9f569a52912
鹿児島市遺族会の吉見文一さん(81)=伊仙町出身=は今年10月、有志で「戦争を語り継ぐ遺児の会」を立ち上げた。
戦争から77年がたち、戦争体験を語れる人はほとんどいなくなった。戦争遺児として、自分たちが語っていかなくては。
遺族として見詰めた戦争の悲惨さを、現代の若者たちに伝えていく決意を新たにしている。
出征した父親をパプアニューギニアで亡くした戦没者遺族は、吉見さんだけでなく全国各地にいた。
70歳になり、初めて現地を慰霊訪問した際に知り合った遺族はほとんどが同世代。
幼い頃か生まれる前に父親が戦死したため、「お父さん」と呼んだ記憶や、触れ合ったことのない寂しさを抱えていた。
吉見さんはこれまで「人に話しても分かってもらえないのでは」と、戦争について自身の思いを語ることはなかった。
しかしこのメンバーだと自由に話すことができた。「うちは遺骨は帰らず紙切れ一枚だけ」「うちは石ころ」。
同じ境遇の人たちと思いを共有し、長年の胸のつかえが取れた気がした。
「戦争の犠牲となった父たちのおかげで今の平和がある。その死を無駄にしないためにも、語り継いで行くことが大切だ」。
80歳を迎えるころ、そう思うようになった。
一方で、父のことを話すのは、子や孫ですらためらわれた。外で話すとなるとなおさら。身内の不幸はさらしたくない。
大事に思う気持ちを自慢と取られても困る。場をちゃかされたり、湿っぽい雰囲気になるのも嫌だった。
「大事なことだとは思っているけれど、話したことを後悔するときもある」
数年前の盆、自宅に遊びにきていた孫たちが父の遺書や遺留品を見つけ、興味深そうに読んでいた。
その後、当時15歳だった孫がスピーチコンテストで最優秀賞を受賞した。
「『お父さん』このたった5文字は、私の祖父にとって、言いたくも言えなかった大切な言葉です」。
そう始まる孫のスピーチには、父が戦死したことや自分に宛てた遺書、
そしてパプアニューギニアでの慰霊祭で、初めて自分が「お父さん」と呼べた日のことが書かれていた。
「毎日何気なく口にするこの言葉に反応してくれる存在がいること、
そのありがたさに気付かされました」孫の素直な表現に胸を打たれた。
「ちゃんと話したことはなかったが、こちらが伝えたいもの以上の気持ちを分かってくれている」。
戦争を知らない世代にも伝わるんだ、と背中を押してくれた。
◆ ◆
今年10月、鹿児島市内の高校で平和講演会を行い、「戦争を語り継ぐ遺児の会」として活動をスタートさせた。
生徒と保護者約550人を前に、父の遺品と戦争について語った。
講演では、奥田智恵さん(67)=徳之島町出身、京都府=から預かった「寄せ書き日章旗」も広げて見せた。
語る方と聞く方の溝を埋めるように、戦争の「生き証人」として日本に戻った「寄せ書き日章旗」。
吉見さんはこれからも若い世代に平和の尊さを訴え続ける。
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◎ Boost for Japanese courses at UPNG (2022.11.25、Post Courier)
https://postcourier.com.pg/boost-for-japanese-courses-at-upng/
An agreement signed yesterday will see the University of Papua New Guinea students
be more engaged in learning about Japan and its development.
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◎ 服飾研究家 深井晃子(4)父の「戦死状況」記した巻物
(2022.11.25、日経)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO66267720V21C22A1BE0P00/
パプアニューギニアのウエワクに行ったことがあると言ったとき、
参加した文化人類学研究会の興味と歓迎の眼が、私に向けられた。あなたの研究地域は、パリやミラノのはずでは? と。
ウエワクで、生みの父は戦死した。父の最後の場所を見届けようと思ったのは、母が亡くなった後だった。
結婚する時、母から「戦死状況」と書かれた巻物を渡された。父の部下の方が母に送った報告書だった。
2メートルを超す巻物には毛筆の難しい文体で、その時の状況が詳細に綴(つづ)られていた。
父の操縦する戦闘機は米機と交戦中、撃墜された。捜索に手を尽くしたが深い原生ジャングルの中で、遺体は見つからなかった。
陸軍士官学校出の父は、第2次大戦でニューギニア戦線に陸軍飛行団飛行戦隊の戦隊長として赴き、戦死した。
私が生まれて3カ月後。父に会ったことはない。
父がまだ、きっとそこにいるはずのウエワクのジャングルは、昔のままに濃い緑の熱帯樹に厚く覆われていた。
最後の場所かもしれない辺りを、町外れの高台から眺めるしかなかった。
高台には簡素な建物が建てられ、近くの慰霊碑には花が手向けられていた。
人影はなかった。真っ青な空の下は、ひたすらに空虚だった。悔しさが、急に私を突き上げた。
それは涙となって溢(あふ)れ出した。
昔フランスで習った例文で、忘れられない文がある。
「何々がある限り…」という構文例に挙げられていた「人間がいる限り、戦争は起こる」という一文だ。
日本の戦後教育を受けた私は、これが例文に使われたことに、強い違和感を覚えた。
西欧の思考では「戦争は起こる、それをどうしたら防げるのか」という問いこそが重要なのだ。
納得いかないままに、理解した。
第2次大戦後も、絶えず世界のどこかで紛争や戦争が起きてきた。
実際に今も、自己本位の主張による侵略が起こっている。
なぜ、戦争を回避しなかったのか。どう収束へと向かわせるのか。解決策を一刻も早く見つけねばならない。
この玉手箱の煙は、目に沁(し)みる。
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◎ 日・パプアニューギニア間の二国間クレジット制度の構築に関する協力覚書の署名
(2022.11.18、在PNG日本国大使館)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press1_001167.html
11月18日、国連気候変動枠組条約第27回締約国会議(COP27)開催中のエジプト・シャルム・エル・シェイクにおいて、我が方、西村明宏環境大臣と、
先方シモ・キレパ・パプアニューギニア環境保全・気候変動大臣
(Hon. Mr. Simo Kilepa, Minister for Environment, Conservation and Climate Change of Papua New Guinea)との間で、二国間クレジット制度(JCM:Joint Crediting Mechanism)の構築に関する協力覚書の署名が行われました。
我が国は、パプアニューギニアとのJCMを通じて、パプアニューギニアにおける温室効果ガスの排出削減等に協力することにより、
両国の国が決定する貢献(NDC)の達成に貢献していくとともに、世界の脱炭素化に向けて取り組んでいきます。
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