メルマガ・広報誌

vol.380(9月10日)

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◎ TOKTOK会の開催

11月21日(木曜日)1830より 懇親会も実施いたします。
会場:銀座線三越前徒歩3分 東レ社員クラブ
詳細は添付を御覧ください

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◎    「中国の草」菌草 貧困克服に向けた中国から世界への贈り物(2024.8.30、AFP)
https://www.afpbb.com/articles/-/3536320
【8月30日 Xinhua News】中国で原木ではなく草本植物を用いてキノコを栽培する
「菌草」技術を開発した林占熺(りん・せんき)氏は、80歳を過ぎても忙しく活動を続け、
海外へもこの半年で4回出かけている。

 旧暦1月15日の元宵節(2月24日)には南太平洋の島国フィジーの菌草畑で研修生に講義し、
初夏には長年勤務したパプアニューギニアと菌草技術が初めて国際的な賞を受けたスイスを再訪し、
技術の応用と産業の発展に関する現在の考えを披露した。

8月は、初旬に東アフリカのルワンダで若い生産者らの収穫作業に参加して
彼らが大きなキノコを手に満面の笑みを浮かべる姿を目にし、
中旬にはエジプトで農業相に菌草技術の応用による砂漠化対策の利点を紹介し、
協力の見通しについて意見交換した。
林氏は国内と国外で30年以上にわたり貧困と闘ってきた。
福建省福州市の福建農林大学国家菌草工程技術研究センターにある彼のオフィスに置かれた地球儀には、
菌草技術が世界に残した足跡が記され、その数は106カ国・地域に及ぶ。

 貧困扶助のために生まれた技術
 林氏は研究チームを率い、数十年かけて高収量、高品質で痩せた土地に強く、
日照りや塩類・アルカリ性土壌に耐性のある草本植物を選抜育成した。
原木に代わり食用キノコ栽培に用いる植物として「菌草」と名付けたが、
タンパク質が豊富で成長が早く、環境適応能力も高いことから、
今では家畜飼料にも広く使われている。

 6月末、林氏はジュネーブで開かれた世界貿易機関(WTO)の「貿易のための援助(AFT)」
第9回グローバル・レビュー会合に出席。
スピーチの中で、福建農林大学の菌草科学実験室は今世紀初め、
当時、福建省長だった習近平(しゅう・きんぺい)氏の後押しと支援の下で設立されたと紹介した。

林氏が初めて国外に出たのは1992年10月。第20回ジュネーブ国際発明展に参加した。
菌草技術という新たな学際的研究は、林氏が驚くほど高く評価され、
国際審査員から「最も合理的」「最も経済的」との声が寄せられた。
福州では林氏が帰国するより早く、海外から技術の導入を求める電話が鳴った。
林氏には「菌草技術は貧困扶助のために生まれたものであり、
貧困扶助のために使われるべき」という信念があった。

 菌草技術が福建省から全国、さらに世界へ普及したのは、
習近平共産党中央委員会総書記の長年にわたる関心と自らの推進が欠かせず、
中国の科学者の勇敢な開拓、地道な貢献が欠かせなかった。

 習氏は福建省共産党委員会副書記だった1997年、貧困扶助の視察で訪れた寧夏回族自治区で、
菌草技術を福建省と同自治区の対口(カウンターパート)貧困扶助の協同プロジェクトにすることを支持。
任務を受けた林氏は、チームと共に草の種やキノコの菌株を持って寧夏の西海固地区に赴き、
現地の自然条件に合わせてゼロから課題に取り組んだ。
菌草技術はその後、全国31省・自治区・直轄市へ続々と普及し、
貧困脱却難関攻略と農村振興に積極的に貢献した。
 福建省長を務めていた習氏が2000年、
パプアニューギニア東ハイランド州のラファナマ知事の訪問を受けた際に菌草技術を紹介すると、
林氏とチームはパプアニューギニアのへき地で精力的に働き、深く根を下ろした。
 菌草は「中国の草」としてより広い山と海を越え、アジア太平洋、アフリカ、中南米など広大な
「グローバルサウス」の国々で次々と根を張り、花開き、実を結んだ。

 貧困扶助のための普及
 林氏は今年8月初め、ルワンダで開かれたアフリカ地域の菌草技術セミナーで、
かつての教え子、ルワンダ初の菌草プロジェクトコーディネーター、アグネス・アインカミエさんと再会した。
アインカミエさんは2007年に大学を卒業すると、中国の菌草専門家と出会い、自らの進むべき道を見つけた。

 中国の専門家たちと一緒に働く毎日は「気持ちを奮い立たせてくれた」
「多くの人を助けられるのが何よりうれしかった」とアインカミエさんは語る。
菌草技術は現地で大いに歓迎され、特に女性や若者は研修を受けて生計の道や活路が開け、
収入が2倍以上になった人もいるという。
 8月15日にはカイロでエジプト農業科学アカデミーのファシ教授と17歳の息子の訪問を受けた。
ファシ氏は1995年に福州で開かれた第1回菌草技術国際セミナーに参加し、
海外で技術を担う最初の中核的人材の一人となった。林氏の今回のカイロ訪問で、
同アカデミーは協力を引き続き深めていく意向を積極的に表明した。

 菌草技術国際セミナーはこれまでに約350期開かれ、1万4千人余りが受講した。
菌草技術は18言語に翻訳され、世界に広がり続けている。
2月にフィジーで開かれた太平洋島しょ国菌草技術セミナーに参加したパプアニューギニア人受講生の
ウキさんも中国の専門家の「旧友」といえる。
2000年にこの技術に関わるようになって以来、パプアニューギニアで菌草技術を広め、
多くの農家が収入を増やし、生活を改善していくのを見てきた。ウキさんは、
菌草技術の発展は国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」と一致し、
発展途上国の貧困削減と持続可能な発展を着実に支援していけると信じている。

 8月初めにアフリカ地域の菌草技術セミナーを開いた際には、
国連職員と外交使節団がルワンダを訪れ、アフリカにおける菌草技術と産業の発展状況を視察した。
国連事務総長室のコートニー・ラトレー官房長は、菌草技術には「強い耐性」という際立った利点があるとし
「アフリカ大陸の全ての発展途上国にとって価値が高く、非常に適している」と評価した。
 貧困扶助を通じた発展
6月末にジュネーブで開かれた会合では、
フィジー・ナイタシリ州から来たセルワイア・カブカブさんが林氏の隣に座った。
彼女は菌草技術の受益者であり、菌草技術を通じてより多くの人々に利益をもたらしている。
フィジーではこの10年で2400人以上が菌草技術の研修を受け、同国の菌草栽培面積は2千ヘクタールを超えた。
 カブカブさんは2019年、地元の女性12人を伴って菌草技術セミナーに参加。修了後は小さな農場を始めた。
彼女の助けにより、多くのキノコ農家の女性が菌草を使って自立への第一歩を踏み出した。

 タンザニアのキクウェテ元大統領は2016年(当時は前大統領)に福建農林大学を訪問した際、
菌草技術をタンザニアの発展に役立てたいと林氏に語った。
今年8月上旬に2人がタンザニアで再会すると、キクウェテ氏は、タンザニアでは近年、菌草技術がよく発展し、
自分の牧場にも植えていると林氏にうれしそうに告げ「菌草はこの国でもっと成功すると確信している」と語った。
30年間で海外に行った回数は数えきれず「100回以上はあるだろう」と林氏は語る。
海外での最近の観察を踏まえ、菌草産業を発展させて貧困扶助の成果を固めるには、
技術をいかに応用すればよいのかを常に考えている。
 2月のフィジー訪問では、塩類・アルカリ性土壌への菌草技術の応用という研究課題を実施した。
太平洋島しょ国を含む発展途上国が気候変動への対処策を模索するための実験であり、
理想的な結果が得られたという。
「菌草技術が歩んできた道は、人々が貧困から脱却する道、中国が世界に貢献する道であり、
人類が現代化に向けて新たな模索を続ける道でもある」。
林氏はジュネーブで、世界から集まった会合出席者にこう語った。(c)Xinhua News/AFPBB News

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◎    太平洋島嶼国と日本の「キズナ」 
JICA専門家らが気象人材育成や電化の支援活動を紹介(2024.8.31、朝日新聞SGDs ACTION)
https://www.asahi.com/sdgs/article/15409601

サイクロンの被害を受けやすい南太平洋の島嶼(とうしょ)国で長年、
気象予報能力の向上を支援してきたJICA(国際協力機構)専門家の黒岩宏司さんが7月17日、
東京都内で講演し、フィジーを拠点にした気象人材育成の取り組みを紹介した。
黒岩さんは「太平洋島嶼国の気象サービスと多くの友人たちのために、支援を続けていく」と述べた。
(編集長・竹山栄太郎)

ナウルの気象局設立に貢献
講演は、7月16~18日に東京で開催された第10回太平洋・島サミット(PALM10)の期間中、
外務省とJICAが共催したサイドイベント「人材育成を通した大洋州と日本のキズナ」の中でおこなわれた。

黒岩さんは日本の気象庁や世界気象機関(WMO)での勤務経験があり、
1992年にJICA専門家としてフィジーに赴任して以降、太平洋島嶼国の気象予報能力の向上に協力してきた。

太平洋島嶼国は、サイクロンをはじめとする自然災害にたびたび襲われてきたが、
各国の気象予報能力や連携が十分ではないことが課題だった。
JICAはフィジーを地域拠点と位置づけ、フィジー気象局の能力向上や、
第三国研修(近隣国の職員を受け入れて行う研修)を通じた人材育成に取り組んできた。

2014~2018年に太平洋島嶼国10カ国を対象におこなわれた
「大洋州気象人材育成能力強化プロジェクト」では、観測や予報に関する研修などを実施し、
黒岩さんもアドバイザーとして参加。プロジェクトの成果の例として、ナウルで気象局が設立され、
地上気象観測ができるようになったことを挙げた。
黒岩さんは第三国研修の意義について、「観測システムの改善は、
この地域だけでなく日本を含む世界の天気予報の信頼性向上につながる」と述べた。
バヌアツの未電化地域を支援
サイドイベントでは、未電化地域が残るバヌアツで、
LEDランタンのシェアリングサービスで明かりを届ける活動をする東芝の鈴木将男さんも活動を紹介した。
鈴木さんは、2002~2004年にJICAの海外協力隊員としてバヌアツで活動し、
島が多いという地理的条件から電気が自由に使えない現地の状況を知った。
その後、2019年に東芝グループの新規事業募集に企画を提案し、採用されたという。

このサービスは、住民が地元の小規模商店で利用料金を払うと、
太陽光発電で充電したLEDランタンどの電気製品を借りられる仕組み。
再生可能エネルギーを活用することで環境負荷を抑えつつ、未電化地
、に電気を届けている。鈴木さんはこう述べた。

「今後はプロジェクトをパプアニューギニアや他の太平洋島嶼国に広げ、
誰もが利用できるインフラをつくり、みんなで喜びを分かち合えるようにしたい。
そのためにはサービスを持続的に提供することがカギになる」
JICAの田中明彦理事長は、これまでに約5000人のJICAボランティアが大洋州地域に派遣されてきたほか、
各国の職員1万6000人以上がJICAの知識共有や研修コースに参加してきたと紹介。
「小島嶼国は人口流出や人材不足という深刻な問題に直面している。
JICAは『人間中心の国際協力』を通じて、国の発展に貢献する将来のリーダーや、
起業家精神を持った人材の育成に引き続き取り組んでいきたい」と述べた。

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◎    テニス界きっての“ハッピーガール”を育て上げた、
「アキコ」と呼ばれる母親の存在と教え<SMASH>(2024.9.2,goo/THE DIGEST)
https://news.goo.ne.jp/article/thedigestweb/sports/thedigestweb-85588.html

彼女は、日本の選手や関係者たちから、親しみを込め「アキコさん」と呼ばれていた。
 本名は、ミシェル・ワトソン。長くイギリス女子テニスを牽引し、現在も単複でツアーを周る
、ヘザー・ワトソンの母親である。全身から人の良さがにじみ出る、明るく柔和な佇まい。
その彼女に「なぜアキコさんと呼ばれているの?」と尋ねると、ニコニコ笑いながら、次のように教えてくれた。

  私の母国は、パプアニューギニア。通っていた地元の高校に、日本人の先生がいたんです」

その先生『ミスター・ナガヤマ』は、国際交流基金のプログラムの一環で、
彼女が通う高校に来たという。

「ミスター・ナガヤマが生徒たちに、日本の名前をつけてくれたんです。
私が10月生まれだと言うと、彼は『10月は日本で一番良い季節なんだよ』と教えてくれ、
アキコの名をくれたんです」

 つまり、アキコは“秋子”。彼女はその日本語教師を通じ、四季をはじめ、
日本の文化なども学んだという。
  「先生が私たちの学校にいたのは、1年半ほどでした。
日本語だけでなく、一生懸命働くことの大切さや、人に敬意を表し、
礼儀正しく振舞うことの重要性も教えてくれました。

私は本当に幸運でした。当時のパプアニューギニアでは、誰もが教育を受けられるわけではなかった。
学校に行かせるとしても、男の子が優先でした。
女性は家にいるべき……という風潮が、今よりもっと強かったから。 
でも私の父は、違った。『学校に行きなさい』と言ってくれたし、
自分のやりたいことに挑戦しなさいと言ってくれた」 
スポーツも、アキコさんがチャレンジしてきたことの一つ。
「たくさんのスポーツをやりました。個人競技はお金が掛かるから無理だけれど、団体競技を色々と。
一番得意だったのは、フィールドホッケー。わたし、かなり上手だったのよ!」

 そう言うと破顔して、アキコさんはカラカラと笑う。
スカッシュなどの個人競技を始めたのは、学校を卒業し、地元で働くようになってから。
テニスも、職場で覚えたスポーツの一つ。
そして彼女はテニスを通じ、伴侶となるイギリス人男性と知り合う。
その後、二人は仕事でイギリス王室属領のガーンジー島(イギリス海峡にある島)に移り、
そこで生まれたのが、ヘザー・ワトソンだ。

  「ガーンジー島は、家族で暮らすには最高の場所なの!」と、
ワトソンは母親に良く似た人懐っこい笑みを広げた。
彼女が、選手間で「ツアーきってのハッピーガール」と呼ばれる理由は、その笑顔を見れば説明不要。
見る者も幸福な気持ちにさせる表情で、彼女は幼少期の思い出を紡いでいった。

 「ガーンジー島は平和で、住民たちは仲が良く、島そのものが一つの大きなコミュニティみたいな感じ。
自然に囲まれていて、みんなで誘い合っては自転車を漕ぎ、山に遊びに行った。わたしの幼少期は、パーフェクト! 
本当にラッキーだったと思う」
 ワトソンがテニスを始めたのも、ガーンジー島での幼い日。
「両親を結び付けたスポーツ」をするのは彼女にとって、あまりに自然なことだった。
 そんな「大好き」な故郷の島を、彼女は12歳の時に後にする。
娘に、より良いテニスの環境を与えたいと願った両親が、
米国フロリダ州のIMGアカデミーに行くことを勧めてくれたからだ。
 ただテニス留学をするにあたり、両親が出した条件があった。それは、「一般の学校に通うこと」である。
   母国では貴重だった高等教育を受け、新天地へと渡る機会も得たアキコさんは、
娘にも教育の大切さを伝えてきたという。そして娘のワトソンも、
「親の方針に、本当に感謝している」と言った。
「わたしは、学校が大好きだった。単に勉強できただけでなく、友だちがたくさんできた。
社会性を身に付けられたのもありがたいし、色んな経験や感情を共有できる、
素晴らしい人たちがわたしの周囲にはいた。本当に自分は恵まれている」
 友人に囲まれた充実の学生生活を送り、同時に「両親の尽力や応援に応えたい」の思いを熱源に、
テニスに打ち込んだ十代の日々。そんな彼女のツアー初優勝が、日本で訪れたのも、何かの巡り合わせだろうか。
 それは2012年10月、大阪市開催の「HPオープン」。
同年開催のロンドンオリンピックで母国の旗を背負った当時の20歳は、
「あの時は、心身ともに疲れていた」と回想した。
  「長いシーズンの、最後の大会が大阪だった。
全く自分に期待しておらず、『とにかくベストを尽くそう』と自分に言い聞かせた」
 その無欲さが、好結果を呼び込んだだろうか。彼女はシングルスのみならず、伊達公子と組んだダブルスでも決勝進出。
シングルス決勝で3時間超えの死闘を制したワトソンは、“24年ぶりにツアー優勝した英国人女性選手”となった。

彼女が開いた扉にはその後、オーストラリアからの移民のヨハンナ・コンタや、
中国人の母とルーマニア人の父を持つエマ・ラドゥカヌらが続き、新たな英国テニス史を書き加えていった。

「色んなルーツや背景を持つ人が活躍し、テニスに一層の多様性が見られるのはすごく良いこと」と優しく微笑むワトソンは、
32歳を迎えた今、テニスができる幸運に一層深く感謝しているという。
  「今年の目標はパリオリンピックに出ることだったので、それが叶ったのはうれしかった。
今は、全ての瞬間を大切にし、楽しもうと思っている。
だってこの時間は、永遠に続くわけではないのだから。
 この人生を送れていることをうれしく思うし、機会を与えてくれた両親には本当に感謝している。
そして、テニスがわたしにもたらしてくれた、全てのことにも。本当に、自分は恵まれていると感じている」
 幾度も幾度も繰り返し、自身を「幸運」と表するツアーきっての、“ハッピーガール”。
そのルーツをたどった時、小さいながらも温かく確かな、日本との縁がある。

現地取材・文●内田暁

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◎    大平洋戦争などで犠牲 旧日本陸軍戦没者追悼する慰霊祭 (2024.9.4、NHK/鳥取)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20240904/4040018569.html
 大平洋戦争などで犠牲となった、旧日本陸軍の戦没者を追悼する慰霊祭が鳥取市で開かれ、
参列した遺族などが祈りをささげました。
 鳥取市国府町にある旧陸軍墓地には旧日本陸軍「歩兵第40連隊」に所属していて
戦死した4974人の兵士がまつられています。「歩兵第40連隊」は、
明治29年に大阪で編成された部隊で翌年に鳥取に移ったことで、
県内や兵庫県それに岡山県の一部から召集されました。
 慰霊祭には旧日本陸軍に所属していた兵士の遺族など25人が参列し黙とうをして、
戦地で犠牲となった兵士に祈りをささげました。 
そして、父親がパプアニューギニアで戦死した鳥取県遺族会の國政隆昭会長(88)が
「戦後79年が経過しましたが、当時の悲惨な記憶は今なお、生々しくよみがえってきます。
悲惨な戦争が二度と起きないよう願っています」と述べました。
 慰霊祭のあと國政会長は「母は、3人の子供を一人で育て、
父がいなくなったことを悲しむ暇がなかったと言っていた。来年は戦後80年を迎えるが、
次の世代に平和の大切さを語り継いでもらえるような取り組みを行いたい」と話していました。
また父親が旧日本軍に所属していた鳥取市の米谷哲朗さん(80)は「当事者が高齢化しているなかで、
次の世代に戦争のことを語り継いでいかなければいけないと思う」と話していました。

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日豪「共同の抑止力」構築 統合司令部への相互派遣開始(2024.9.5、日経)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA0427V0U4A900C2000000/
 日豪両政府は5日、オーストラリアのメルボルン近郊で外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)を開いた。
自衛隊と豪軍の共同訓練の拡大を軸に「準同盟」関係を強化すると打ち出した。
中国による軍事的な挑発を踏まえ「共同の抑止力」を構築すると共同声明に明記した。

 上川陽子外相と木原稔防衛相、オーストラリアのウォン外相とマールズ副首相兼国防相が出席した。
日豪2プラス2はおよそ2年ぶりに開催した。
 木原氏は協議後の記者会見で「かつてないほど強固な日豪の安全保障、防衛協力を確認できた」と語った。
「切れ目なく自衛隊と豪軍が連携し、米国と実践的な抑止力・対処力を実行することが極めて重要だ」と強調した。
 マールズ氏は8月下旬の中国軍機による日本への領空侵犯に触れ日本の主権に対する支持を表明した。
「日豪防衛当局はルールに基づく秩序を維持する」と話した。
共同声明は中国による東・南シナ海での一方的な現状変更の試みに「強い反対」を表明した。
米国との協力も含め「(自衛隊と豪軍の)相互運用性をさらに高め、
国家安全保障政策をかつてなく緊密に連携させる」と記した。

 「共同の抑止力」を打ち出したのは部隊間の連携に加え、アジア各国の参画を促す狙いがある。
米国は日本や豪州、韓国、フィリピンといったインド太平洋地域の同盟国と格子状に協力関係を築き、
対中国への防衛力強化を進めようとしている。

 自由で開かれたインド太平洋の実現に「先導的な役割を果たすため協働する」と言明した。
太平洋島しょ国の通信インフラの整備を支援する枠組み「日豪太平洋デジタル開発イニシアチブ」を創設する。
 資金と技術を拠出して通信用の海底ケーブルの敷設を後押しする。
中国製のケーブルから国の情報が抜き取られるリスクなどが問題となっている。
サイバー防御の能力構築支援も進める。

 自衛隊と豪軍の運用面の連携に向け、両国の統合司令部への連絡官の派遣を明記した。
日本が2024年度末に陸海空の3自衛隊の運用を一元的に担う「統合作戦司令部」を設置するのに合わせる。
部隊間の情報交換や情勢認識の擦り合わせが容易になる。

 23年8月に発効した両国部隊の相互訪問の手続きを簡素化する「円滑化協定(RAA)」を活用し、
共同訓練を拡充すると決めた。
敵のミサイル発射拠点をたたく日本の「反撃能力」と、豪州の長距離精密打撃力の運用で協力する。
豪州にあるミサイル発射場の活用などを探る。
 日米豪3カ国でのインド太平洋地域における情報収集・警戒監視・偵察(ISR)も拡大する。
日米が22年に設置した「日米共同情報分析組織(BIAC)」に豪州の要員が参加する。

日米は情報収集を抑止力強化の柱の一つと位置づけている。
 第三国での紛争などの有事の際に、日豪両国民が迅速に退避できるよう緊密に情報共有し、
事前に計画を策定すると確認した。
豪州は24年5月、暴動が続いた太平洋のフランス領ニューカレドニアから日本人を輸送した実績がある。
 豪軍が導入する新型艦への日本の入札参加を巡っても議論した可能性がある。
海自の最新鋭護衛艦「もがみ型」をベースに共同開発を目指す。
もがみ型は従来の護衛艦のおよそ半分の人数で運用できるのが特徴で韓国や欧州勢との受注競争になる。

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ローマ教皇、パプアニューギニアの辺境訪問「あなたは孤立してない」(2024.9.8、朝日新聞デジタル) https://www.asahi.com/articles/ASS982PRZS98SFVU2GLM.html
 東南アジアと南太平洋を訪問しているローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(87)は8日、
パプアニューギニア北西部のバニモを訪れ、地元の信者ら2万人の歓迎を受けた。

 AP通信によると、バニモはジャングルに囲まれた人口約1万1千人の海岸の町で、水道はなく、
電気も太陽光パネルや発電機を持つことができる一部の人のぜいたく品という辺境の地。
教皇の母国アルゼンチン出身の宣教師らが活動している。
 首都ポートモレスビーからの移動は、オーストラリア空軍の輸送機が使われ、
薬やおもちゃなど約1トンも運び込んだという。

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ローマ教皇、パプアニューギニア訪問 取り残された人々への奉仕を呼び掛け(2027.9.9、CNN) 
 https://www.cnn.co.jp/world/35223698.html
 ポートモレスビー(CNN) ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(87)は、
訪問先のパプアニューギニアで、社会の主流から取り残された地域社会に奉仕する教会の重要性を訴えた。

 フランシスコ教皇は首都ポートモレスビーの教会で、パプアニューギニアの周辺や、
都市部の最も恵まれない人々に焦点を当てるよう呼び掛けた。

 フランシスコ教皇は、
教会が「偏見と迷信」のために「精神的、肉体的に」傷ついた人々を支援することに尽力していると述べた。
国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、パプアニューギニアは性的暴力の割合が高く、
女性や少女にとって最も危険な場所の一つとされる。

 フランシスコ教皇は恵まれない少女らに教育機会を与える中学校も訪問した。
パプアニューギニアで女性が受けている差別や暴力を考えると、
同校を訪問することを決めた教皇の決断は重要といえそうだ。
 フランシスコ教皇はさらに、オーストラリア空軍が運用する軍用機に搭乗して、
パプアニューギニアでも特に人里離れた場所の一つであるバニモを訪問した。
バニモは同国北西部に位置しており、水が通っておらず、電気の供給もほとんどない。
軍用機には医薬品や衣服、玩具、学童のための楽器なども積み込まれた。
 フランシスコ教皇はバニア訪問時、幸せでくつろいだ様子だった。
 推定2万人の観衆が大聖堂前の芝生に集まり、音楽を流しながら、教皇の到着を待った。
教皇が舞台に上がると歓声が沸き、教皇が贈られた羽根飾りを頭にかぶると再び歓声が上がった。
 フランシスコ教皇は12日の日程で東南アジアと南太平洋の4カ国を歴訪している。
パプアニューギニア以外にも東ティモールやシンガポールを訪問する。

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ローマ教皇、パプアニューギニアで持続可能な開発・労働環境改善訴え(2024.9.9、reuters)
https://news.goo.ne.jp/article/reuters/world/reuters-20240909047.html
[ポートモレスビー 7日 ロイター] - ローマ教皇フランシスコ(87)は
7日、南太平洋の島しょ国パプアニューギニアを訪れ、持続可能な資源開発、労働者の待遇改善を呼びかけた。
政治当局者に向けては部族間紛争の終結を訴えた。
 教皇は、パプアニューギニアの天然資源は地域全体のために「神がもたらした」ものだと発言。
「たとえ外部の専門家や国際的な大企業がこれらの資源の活用に関わらなければならないとしても、
収益分配や雇用の面で、現地の生活水準向上のために住民のニーズが十分に考慮されるのは当然だ」と述べた。
また、天然資源は持続可能な方法で開発されるべきであり、それは国際協力や相互尊重、
全ての当事者に有益な協定を通じて、全員の幸福を向上させるものであると述べた。
 パプアニューギニアのダダイ総督は、教皇を歓迎する演説で、教皇の人道主義的な活動に感謝し、
カトリック教会を同国の「重要な開発パートナー」の一つと語った。
 同国は世界最大級の金鉱脈を有し、天然ガスと石油の主要輸出国。
 アジア4カ国を歴訪中の教皇は9日までパプアニューギニアに滞在し、
その後、東ティモールとシンガポールを訪れ、13日にローマに戻る。今回の外遊は即位以来最長となる。

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島しょ国会合、中国と台湾の外交戦の舞台に(2024.9.9、日経)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM010PD0R00C24A9000000/

 南太平洋で中国と台湾が外交戦を繰り広げている。祖国統一を目指す中国は
台湾と外交関係をもつ国を切り崩し、国際機関で排除を画策する。
8月末、トンガで開かれた太平洋諸島フォーラム(PIF)の年次首脳会合は、
台湾の取り扱いを巡る中台の攻防戦の舞台となった。

 8月30日夕方、トンガの首都ヌクアロファの会議場。
記者会見後のがらんとした室内で中国の銭波(チエン・ボー)太平洋島しょ国担当特使は誰かを待っていた。
視線の先にいたのはソロモン諸島のマネレ首相だ。
他の首脳と懇談を終え立ち去ろうとしたマネレ氏に銭氏はぴたりと寄り添い言葉を交わした。

 PIFは太平洋島しょ国やオーストラリアなど18カ国・地域で構成する。
8月26日〜30日に開いた年次会合で首脳のほか「対話パートナー」である日米中の代表者、
その他の関係国を含めた1000人超が集った。

 会合に緊張が走ったのは30日夕方。会合の成果をまとめた共同声明についての記者会見後だった。
声明の条項66に「首脳らは中国と台湾について1992年の決定を再確認した」との文言が盛り込まれた。
PIFは92年に台湾を「開発パートナー」と認め、台湾は翌年から会合に参加してきた。

 会見後、銭氏はワンガPIF事務局長に怒りをあらわにして「受け入れられない」と迫った。
銭氏が「狼」の片りんをみせた一幕だった。
 条項66は事前の草案になく、中台どちらにも青天のへきれきだった。

台湾外交部(外務省)の田中光政務次長(外務副大臣に相当)は取材に
「台湾は条項を入れるよう依頼していない」と明言した。
 今年の会合ではソロモンが中国の意向を受けて台湾の参加を阻む提案をするとの観測がでていた。
ソロモンのアゴバカ外相は取材に「我々は中国の代理ではない」と説明する一方、
「会合への参加は主権国家に限るべきだ」と排除の意図を認めた。
 ソロモンは19年に台湾との外交関係を絶ち中国と国交を樹立。多額の経済援助を
得た。22年には中国と安全保障協定を結び、米豪が軍事拠点化への警戒を強めた。

共同声明は30日夜に突如ウェブサイトから削除され、翌日に改訂版が配布。条項66は置き換えられ、
台湾の言及はなくなった。銭氏が修正を求めていただけに中国の圧力が働いたとの観測が広がった。

 声明内容は首脳のみが離島で集う「リトリート会合」で協議する。
非公開の場で何が起きたかは不透明な部分も多い。
ある島しょ国の関係者は「条項66は首脳の過半数が支持したものではなかった」と打ち明ける。
別の関係者は「公表の直前で声明文が『ハイジャック』さ
れたと疑っている」と漏らした。
 PIF事務局は声明公表を巡って事務的なミスが生じたとし
「変更は首脳の決定に影響を及ぼすものではない」と説明した。 
 台湾はツバル、マーシャル諸島、パラオと外交関係をもつ。奨学金給付や農業支援、
海底通信ケーブル敷設などで島しょ国を援助してきた。
PIFにも過去3年で2800万ドル(41億円)を支援している。だが会合への参加は課題がつきまとう。
トンガ会合でも台湾の代表団にビザがおりたのは開幕2日前だった。
 25年のPIF会合の主催国は親中のソロモンだ。田氏は「公平に扱われるか分からない」と不安視する。
ビザ発給などの障壁に加え、台湾への監視体制が強まる可能性がある。26年の開催国はパラオの予定で、
同国へのサイバー攻撃や台湾断交の働きかけ強化を懸念する声もある。
南太平洋を巡る中台の攻防戦が落ち着く気配はみえない。
(ヌクアロファで、今橋瑠璃華)

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慰霊礼拝団のポートモレスビー訪問(2024.9.6、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/itpr_ja/b_000326.html
8月26日から9月6日まで、先の大戦でご親族を亡くされた戦没者遺児による慰霊団一行
総勢14名がラエ及びウエワクを訪問されました。首都ポートモレスビーではPNG軍楽隊の練習の見学、
大使館訪問、大使館員との懇談会を行いました。

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マペラ首相に対する不信任決議案の投票実施に伴う注意喚起(2024.9.10、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/files/100722064.pdf
 当地紙等で大きく報道されておりますとおり、12日(木)に当国議会において
マラペ首相に対する不信任決議案の投票が行われる予定です。
 投票の結果によっては政局の混乱や治安状況の悪化が引き起こされる可能性 がありますので、
国会議事堂周辺や多くの人が集まる場所には近寄らない等の対策を講じ、
最新の治安情報入手に努めていただくと共に、買い物等にお出掛け の際には細心の注意を払い、
少しでも危険を察知した場合にはその場を離れて いただくようお願いします。

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