vol.395(2月10日)
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◎ 2024年旅写真コンテスト、受賞作発表 世界の風景や文化の美しさ捉えた作品の数々(2025.1.31、Yahoo/CNN)
https://news.yahoo.co.jp/articles/28dd755b6bf689d360d0a5e8b706894e47423a51
(CNN) 2024年の「トラベル・フォトグラファー・コンテスト」の受賞作品がこのほど発表され、
遠くを見つめる少女、仕事の合間に冗談を言い合うふたりの中国人炭鉱労働者、
モンゴルの雪原に寝そべるマヌルネコなどを捉えた写真が賞に輝いた。
コンテストの主催者は26日、声明で、受賞作の数々を総合すると、
「息をのむような雰囲気と色彩を捉えた、世界中を巡るすばらしい視覚的な旅」が明らかになるとたたえた。
米国の写真家パイパー・マッケイ氏は、赤外線で撮影した独特の色合いを持つ写真で大賞を受賞した。
この手法は、アフリカの女性を捉えた写真やケニアの草原を横切るキリンの写真に、神秘的な質感を与えている。
マッケイ氏は声明で、「この賞は、私の人生の情熱と20年以上にわたるアフリカでの仕事を完成させるものだ」と述べ、
自身の哲学は「写真には決して見る人の体験を左右させず、常に体験が写真を決めるようにする」というものだと付け加えた。
審査員は、150カ国あまりの写真家から寄せられた2万枚以上の写真を精査。マッケイ氏を大賞に選出した。
そのほか「顔・人々・文化」部門では、メキシコの写真家マリクルス・サインス・デ・アジャ氏による、
パプアニューギニアの民族の生活を捉えた作品が受賞した。
また、「野生動物・自然・水中」部門では、英国のジェニー・ストック氏が、
キューバのワニの冷酷無慈悲なたたずまいを表現した写真で1位を獲得した。 中国のレイモンド・ジャン氏は、
中国の炭鉱で働く人々と列車を捉えた印象的な写真で「ヤング・トラベル・フォトグラファー」賞を受賞。
14歳以下の部門では、12歳のレオナルド・マレー氏がナミブ砂漠で砂丘の深遠な形状を捉えた作品で賞に輝いた。
すべての受賞作は、同コンテストのウェブサイトや英国オックスフォード近郊の
バンベリー博物館で3月29日から7月7日まで開催される展示会で閲覧できる。
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◎ 森永卓郎さん 訃報から一夜 モノ収集が共通点のやくみつるさん
「私が50なら森永さん5000」(2025.1.30、毎日)https://mainichi.jp/articles/20250130/spp/sp0/006/044000c
ステージ4の原発不明がんを公表し、
闘病を発信し続けた経済アナリストの森永卓郎(もりなが・たくろう)さんが67歳で死去してから一夜明けた29日、
親交のあった仕事仲間らから悲しみの声が上がった。
四半世紀近く森永さんと交流した漫画家のやくみつるさん(65)は、
「今一番、対談したい人が森永さん。かなうなら」と故人をしのんだ。
2人の共通点はモノの収集。自身のYouTubeチャンネルの撮影で森永さんの収集ハウス「B宝館」を訪ねたこともある。
「私が50なら森永さんは5000」と収蔵品の多さには脱帽した。
2人の収集ジャンルにはすみ分けがあり、旅先などで相手ジャンルの珍品に遭遇すると持ち帰って贈り合った。
森永さんが最も喜んだのはパプアニューギニアのコカ・コーラの缶。
一方、森永さんからの贈り物で最もうれしかったのは
「森永さんの母校・東大のイチョウ図柄入りトイレットペーパーの紙包みだった」と明かした。
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◎ ジュリアス・チャン氏死去 パプアニューギニア元首相(2025.1.31、JIJI.COM)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025013100781&g=int
ジュリアス・チャン氏(パプアニューギニア元首相)首相府などによると、
30日、東部ニューアイルランド州の自宅で死去、85歳。80、90年代に首相を務め、
「建国の父の一人」と見なされている。国葬が行われる予定。
39年、中国出身の移民の父と先住民の母の間に生まれた。
下院議員を経て、75年の国家独立の際、財務相として通貨キナ創設を担当。
80~82年と94~97年に首相を務め、経済発展に注力した。
2度目の首相在任中、内戦で英国軍事会社の傭兵(ようへい)を投入し、問題となった。
07年からニューアイルランド州知事を務めていた。
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本海海戦の電文書面、真珠湾攻撃・山本五十六の焦燥…文献が伝える生々しい史実
深層の真相 防衛研リポート(2025.2.2、Yahoo/産経新聞)
https://news.yahoo.co.jp/articles/e221934224c2ed2cb26ca0a953d792a7af5d500d?page=1
先の大戦が敗戦という形で終結して今年で80年。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」とは19世紀ドイツの指導者、ビスマルクの格言だが、
戦史から教訓をくみ取ることは、われわれに託された使命だろう。
防衛省防衛研究所(防衛研)戦史研究センターの研究者らを通じて史料を読み解き、
「深層の真相」を探るシリーズ。第1回は「教訓の宝庫」である戦史研究センター史料室に迫る。
東京・市ケ谷の防衛省。約25ヘクタールの広大な都心の敷地には、庁舎のほか、
極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された大講堂や大本営地下壕跡がある。
防衛研は敷地の北側、加賀門近くにたたずむ。
史料室は、明治維新から第二次大戦までの旧日本軍の公文書など計16万7千冊
(うち陸軍5万9千冊、海軍4万1千冊)を所蔵。防衛研の研究者だけでなく、広く門戸を開き、
戦史研究などに寄与している。
「戦争には成功もあれば失敗もある。史料を分析・編纂(へんさん)し、
戦訓や教訓を探る過程は、組織として必要なこと」。
史料室長の菅野(かんの)直樹さん(52)が説明する。旧陸海軍でも戦史研究はなされ、
今も各国の軍に研究機関があるという。
昭和20年の敗戦を受けて旧軍は解体、国内では29年に自衛隊が創設された。
自衛隊でも、日本という国家そのものを変えた大戦を検証する必要があった。
戦史研究は30年に陸上自衛隊幹部学校に設置された戦史室で始まり、翌31年に防衛研修所(当時)の傘下に入った。
旧軍の公文書の多くは焼却や米軍の接収、旧厚生省復員局や個人での保管など散逸していた。
戦史室が史料を収集しながら編纂したのが、公刊戦史「戦史叢書(そうしょ)」だ。
職員ら100人以上が旧軍人ら約1万3500人から聞き取りを実施し、41年に第1巻「マレー進攻作戦」を発刊。
61年に最終の第104巻を刊行したが、準備段階から20年以上の歳月を費やした。
「旧軍の名誉を重んじ、踏み込むべきところに踏み込んでいない」との批判もあるが、
菅野さんによるとこれほどの戦史書シリーズはほかになく、
現在でも研究のほかドキュメンタリー番組の制作でも参考にされている。
東京・市ケ谷の防衛省。約25ヘクタールの広大な都心の敷地には、庁舎のほか、
極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された大講堂や大本営地下壕跡がある。
防衛研は敷地の北側、加賀門近くにたたずむ。
史料室は、明治維新から第二次大戦までの旧日本軍の公文書など計16万7千冊
(うち陸軍5万9千冊、海軍4万1千冊)を所蔵。
防衛研の研究者だけでなく、広く門戸を開き、戦史研究などに寄与している。
「戦争には成功もあれば失敗もある。史料を分析・編纂(へんさん)し、
戦訓や教訓を探る過程は、組織として必要なこと」。史料室長の菅野(かんの)直樹さん(52)が説明する。
旧陸海軍でも戦史研究はなされ、今も各国の軍に研究機関があるという。
昭和20年の敗戦を受けて旧軍は解体、国内では29年に自衛隊が創設された。
自衛隊でも、日本という国家そのものを変えた大戦を検証する必要があった。
戦史研究は30年に陸上自衛隊幹部学校に設置された戦史室で始まり、
翌31年に防衛研修所(当時)の傘下に入った。
旧軍の公文書の多くは焼却や米軍の接収、旧厚生省復員局や個人での保管など散逸していた。
戦史室が史料を収集しながら編纂したのが、公刊戦史「戦史叢書(そうしょ)」だ。
職員ら100人以上が旧軍人ら約1万3500人から聞き取りを実施し、41年に第1巻「マレー進攻作戦」を発刊。
61年に最終の第104巻を刊行したが、準備段階から20年以上の歳月を費やした。
「旧軍の名誉を重んじ、踏み込むべきところに踏み込んでいない」との批判もあるが、
菅野さんによるとこれほどの戦史書シリーズはほかになく、
現在でも研究のほかドキュメンタリー番組の制作でも参考にされている。
55年から史料の大部分は一般公開され、寄贈で史料は今も増えている。
「戦史編纂や史料公開ができたのは、戦後だったからこその事情もある」。
菅野さんは「国際情勢が不安定な現代。過去の戦争に学ぶ部分は多いはず」と語る。
■山本五十六の「最期」
史料室に所蔵される文献の数々は、生々しい戦史を今に伝える。
旧日本軍の公文書は敗戦時に多くがその手で焼却された。
焼却を免れた文書など1万数千冊は米軍が押収。
ワシントンで保管されたが、外交交渉の末、昭和33年に日本に返還された。
《敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 之ヲ撃滅セントス》
日露戦争の勝敗を決した日本海海戦当日の明治38年5月27日早朝、
海軍連合艦隊から軍令部に宛てた電文書面もその一つだ。
作戦立案の参謀、秋山真之(さねゆき)が戦局を決定づけた重要事項を盛り込んだ名文
《本日天気晴朗ナレドモ波高シ》は有名だが、書面のつづりは海軍省を経て
東京帝国大(現・東京大)図書館で保管されていた際、米軍に接収されるという数奇な過程を踏んだ。
書面には、電文を受けた軍令部が陸軍に対し、
付近の海域で船の運航を差し止めるよう連絡したとの鉛筆書きの記録も残り、
当時の緊迫した状況が浮かぶ。
戦後70年近く後に寄贈された史料もある。
昭和16年12月の日米開戦時に連合艦隊司令長官だった山本五十六が、
友人の海軍高官に宛てた自筆の書簡。16年1月~18年1月の計9通で
、平成25年4月、高官の親族から寄贈された。
このうち山本自ら立案した米ハワイ・真珠湾攻撃後の昭和17年1月2日付では、
不安やいらだちなど率直な心情が読み取れる。
戦前、山本は米国視察で国力の差を知り日米協調を唱えたが、逆に開戦時の作戦立案の役割を担う。
書簡では真珠湾攻撃について《英米にすれば飼犬に一寸手をかまれた位に考え》とし、
米軍が本格的な反攻に出てくる可能性を憂慮。特に17年春以降の日本軍の航空戦力を不安視し、
山本が軍中枢に要請した結果、搭乗員を700~800人余分に養成することになったが、
《まだまだこんな事にては到底安心出来ず
せめて布哇(ハワイ)にて空母の三隻位もせしめ置かばと残念に存居候》と吐露した。
さらに、真珠湾攻撃に難色を示していた人々が、
奇襲成功後には得意げで勝敗が決したかのような様子でいると指摘。
《実は世間のからさわぎ以上 部内幹部の技倆識見等に対し寂莫を感せしめらるゝ次第にて候》とつづった。
山本は18年4月18日、暗号解読により待ち伏せていた米軍機に撃墜され、戦死する。
「山本元帥国葬関係綴」には、ブーゲンビル島(パプアニューギニア)の墜落現場図が収められている。
遺体の状況も報告され、山本は左手で軍刀を握り、左胸に敵弾を受けていたが、
他の遺体と比べて傷みが少ないことが記されている。
■後世に残された「財産」
なぜ、先の大戦で日本は抜き差しならない事態に陥り、なお突き進んだのか。
現代でもそうした問題に直面することはある。戦史を知ることも解決策の一つになるのではないか。
公刊戦史「戦史叢書」は、防衛研修所初代戦史室長の西浦進を中心に、
昭和41年に発刊された。当時は旧軍関係者が多く生存。陸軍中枢で将来を嘱望された西浦をはじめ、
携わった職員らも戦争経験者だった。
時代とともに証言者はいなくなるが、史料は残る。日中戦争の発端となった12年の盧溝橋事件。
「支那駐屯 歩兵第一連隊 盧溝橋附近戦闘詳報」は、
当時の連隊長、牟田口廉也(むたぐち・れんや)が33年に防衛研修所に寄贈。
インパール作戦を強行したとして知られるが、彼が寄贈しなければ現存しない史料の一つだという。
戦史研究センター史料室長の菅野直樹さんは「かつて徴兵は義務であり、
旧軍は国民生活に大きくかかわっていた」と語り、旧軍は当時の国際情勢、
日本社会を考える上でも欠かせない存在だったと指摘する。
戦史史料は後の世代の「財産」であることは間違いない。
これからの取材を通じて、今に生きる教訓を探っていきたい。
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◎ フォッカー&“つなぎ役”は退役へ ニューギニア航空、A220ファミリーを9月に運航開始(2025.2.3、Fly Team )
https://flyteam.jp/news/article/142638
ニューギニア航空は2025年1月31日、今後の機材導入計画について発表しました。
2025年9月にも、エアバスA220ファミリーが新たに就航する予定です。
同社は、パプアニューギニア独立50周年に合わせ、2025年9月にA220-300型機の初号機を運航開始し、
その後2026年第1四半期までに3機を導入する予定。
また、A220-100型機については、2026年から2028年にかけて合計8機導入されます。これに伴い、
現在保有しているフォッカーF70/100型機は順次退役。ま
た、リース導入されたボーイング737-800型機についてもA220-100に置き換えるとしており、
2024年5月にA220導入までの“つなぎ”役として導入された
「機体記号:P2-PXB」も退役するものとみられます。
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◎ 【武蔵野美術大学 美術館•図書館】展覧会
「ヴァナキュラー・比較文化論—国立民族学博物館・特別展サテライト展示—」の開催について(2025.2.3、PRTIMES)
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000163.000083551.html
武蔵野美術大学 美術館・図書館では、国立民族学博物館との共催企画として、
「ヴァナキュラー・比較文化論-国立民族学博物館・特別展サテライト展示-」を開催いたします。
1970年大阪万博に先立ち、EEM(日本万国博覧会世界民族資料調査収集団)が世界各国で収集した資料は、
太陽の塔内部の「地底の太陽」とともに展示され、国立民族学博物館に収蔵されました。
また、高度経済成長期の日本において、
日本観光文化研究所が全国規模で収集した国内最大規模の民俗資料は本学に収蔵されました。
世界へ向けられた異文化へのまなざしと、日本列島の文化の多様さへのまなざしを、
同時代の2つのコレクションは宿しています。
今回の展示は、共催企画である国立民族学博物館の創設50周年記念特別展
「民具のミカタ博覧会-見つけて、みつめて、知恵の素」のサテライト展示として開催します。
EEMからタンザニアのマコンデ高原に住んでいたマコンデの人々による彫像を展示し、
そこに本学が所蔵するパプアニューギニアの仮面などの海外資料、
日本の民俗資料を組み合わせて展示します。世界と日本の民具を、
生活から生まれる造形=ヴァナキュラーを比較する視点から見つめて、
知恵の素を探ってみたいと思います。
なお、通常は週2回の民俗資料室収蔵庫見学を、会期中は休室日をのぞき毎日行います。
展示をきっかけに、みずからの視点で民具を熟覧してみてください。
概要
会期:2025年3月31日(月)– 6月3日(火)
開館時間:10:00〜17:00
休館日:水曜日・祝日
入館料:無料
会場:武蔵野美術大学 13号館2階 民俗資料室ギャラリー
詳細:https://mauml.musabi.ac.jp/folkart/events/15273/
主催:武蔵野美術大学 美術館・図書館
監修:加藤幸治(武蔵野美術大学 教養文化・学芸員課程研究室教授、
武蔵野美術大学 美術館・図書館 副館長)
共催:国立民族学博物館
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◎ フィリピン・ソロモン等で戦没者慰霊事業、合同追悼式等(2025.2.3、アセアン情報サイト)
https://portal-worlds.com/news/asean/35792
厚生労働省は、令和7年2月に実施する戦没者慰霊事業は、フィリピン、オーストラリア、インド、
パラオ、パプアニューギニア、ミクロネシア、ソロモン諸島、マリアナ諸島などで実施することを発表した。
厚生労働省の社会・援護局事業課事業推進室によると、【遺骨収集等】の事業は、
『第3回フィリピン現地調査・遺骨収集』
『オーストラリア戦没者遺骨収集』
『フィリピン戦没者遺骨収集』
『インド現地調査・遺骨収集』
『第5次パラオ諸島現地調査・遺骨収集』
『第6次東部ニューギニア現地調査・遺骨収集』
『第2次トラック諸島戦没者遺骨収集』
『第2次ビスマーク・ソロモン諸島戦没者遺骨収集』
『第6次マリアナ諸島現地調査・遺骨収集』が実施される。
【慰霊巡拝】の事業は、『第2次硫黄島戦没者慰霊巡拝』
『第2次フィリピン戦没者慰霊巡拝』が実施される。
フィリピンにおける事業においては、『第2次フィリピン戦没者慰霊巡拝』では、
「在フィリピン日本国大使館表敬訪問」
「アパリ、バシー海峡周辺巡拝」「サンタマリア周辺巡拝」
「カシブ方面周辺巡拝」「バレテ峠周辺巡拝」「プンカン周辺巡拝」
「モンタルバン周辺巡拝」「マニラ周辺巡拝」「合同追悼式:比島戦没者の碑」などを実施する。
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◎ Clinic gets proper incinerator (2025.2.6、The National)
https://www.thenational.com.pg/clinic-gets-proper-incinerator/
He said the Health Department with support from the World Bank,
Japan International Corporation Agency (Jica) ... Jica. “Outdated waste disposal ...
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◎ 太平洋戦争で父親が戦死 鹿児島市の中学校で 平和の尊さ語る(2025.2.7、NHK/鹿児島)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/kagoshima/20250207/5050029737.html
太平洋戦争で父親が戦死した自身の経験や平和の大切さを語り継ぐ活動をしている男性が、
鹿児島市の中学校で授業を行い子どもたちに「平和が続くようにできることをしよう」と呼びかけました。
鹿児島市の吉野東中学校で授業を行ったのは、
「戦争を語り継ぐ遺児の会」の代表を務める、
吉見文一さん(84)です。吉見さんは、およそ150人の生徒を前に、
2歳のときにパプアニューギニアで戦死した父親への思いなどについて語りました。
この中で、吉見さんは、「文一には立派な親がいる。いつまでも文一の将来を見守っているのだ。
立派な人物になるよう教育しておくれ」と父親が母親に残した遺書を読み上げました。
そして、吉見さんが生まれてすぐに父親が戦地に行ったため直接
「お父さん」と呼ぶことができなかったことについて触れ、「当たり前に感謝しましょう。
自分の命も人の命も大切にしませんか。平和な日本がいつまでも続くように、
自分にできることをしませんか」と呼びかけました。
1年生の女子生徒は「友達や家族にも話しを伝えて、
次の世代にもつないでいきたいと思った」と話していました。
授業のあと、吉見さんは「どうすれば平和な日本を作っていけるのか、
考えるきっかけになればいい」と話していました。
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◎ 令和7年新年賀詞交換会の開催(2025.1.31、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/itpr_ja/signing_20231220_00005.htmlbr /> 1月30日(木)に大使公邸にて在留邦人を招いて、新年賀詞交換会を開催しました。
望月大使は新年の挨拶の中で、本年はPNG独立及び日・PNG外交関係樹立50周年の節目にあたり、
関係深化の機運が一層高まっていることに言及し、
引き続き在留邦人の方々と連携して両国関係の更なる発展に取り組んでいくと述べました。
三上ポートモレスビー日本人会会長(Ela Motors社社長)は在留邦人代表の挨拶において、
50周年という節目となる今年がPNG在留邦人にとっても飛躍の年となるよう祈念する旨述べました。
併せて、令和6年度在外公館長表彰授与式を実施し、ラッセル・デカ・タケヒコ・ハラダ氏に対して、
日PNG関係促進に係る数々の功績を讃えて、大使より表彰状を授与しました。
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◎ JENESYS(高校生招へい)の壮行会(2025.2.5、在PNG日本国大使館)
https://www.png.emb-japan.go.jp/itpr_ja/signing_20231220_00006.html
2月5日、JENESYS(対日理解促進交流プログラム)で2月末から訪日予定の高校生10名+引率者1名の壮行会が行われました。
壮行会では、高校生が出発前の期待や抱負を語ってくれました!
約1週間のプログラムで様々な活動を通じて日本文化に触れてもらいます。
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